イエスの受難とキリスト教による伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/02 21:17 UTC 版)
「ヴィア・ドロローサ」の記事における「イエスの受難とキリスト教による伝承」の解説
新約聖書の四福音書によると、過越祭のさなかに捕らえられたイエスはサンヘドリンでの取調べの後、総督ピラトによって十字架刑の宣告を受け、ゴルゴタの丘の十字架上で息絶えるのだが、三日目の朝に復活する。 キリスト教の教義はイエスの死と復活の上に築かれており、いずれの福音書もイエスをメシア(救世主)と認めることから始まっている。第二神殿時代のユダヤ人は伝統的に、ユダヤ民族をローマ帝国のくびきから解放する来たるべき王、あるいは『ダニエル書』で預言された「人の子」のような神秘的な様相をまとった人物など、権威と栄光に満ち溢れた力強いメシアの到来を期待していた。 「 夜の幻をなおも見ていると、/見よ、人の子のような者が天の雲の上に乗り/「日の老いたる者」の前に来て、そのもとに進み/権威、威光、王権を受けた。-『ダニエル書』 7:13~7:14 新共同訳聖書(以下、聖書からの引用はすべて新共同訳聖書より) 」 それゆえ、メシアの苦悶などユダヤ人には到底受け入れられるはずもなく、イエスは十字架上の死へと追いやられてしまった。イエスはその死によって弟子や信者たちを奈落の底へ叩き落したのだが、三日目の復活によって彼らを生まれ変わらせた。イエスに従って歩んだ者は、メシアの苦悶、さらには死をも認めることにより、イエスをメシアと告白する信仰を完成させたのである。つまり、神の独り子であったイエスの穢れなき死は、人類を原罪から清めるため自己犠牲であり、その英雄的行為を通じて神と人類の関係を回復させたと解釈した。イエスが自らを神に捧げるために十字架上の死へと向かって歩んだ道のりがヴィア・ドロローサである。
※この「イエスの受難とキリスト教による伝承」の解説は、「ヴィア・ドロローサ」の解説の一部です。
「イエスの受難とキリスト教による伝承」を含む「ヴィア・ドロローサ」の記事については、「ヴィア・ドロローサ」の概要を参照ください。
- イエスの受難とキリスト教による伝承のページへのリンク