イエスの十字架での死
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:45 UTC 版)
「ナザレのイエス」の記事における「イエスの十字架での死」の解説
福音書から、ローマ皇帝ティベリウス治下でユダヤ属州の総督だったポンティウス・ピラトゥスのもとで、十字架刑に処されたと考えられている。 イエスの死が十字架刑であることは、福音書に先行する『パウロの書簡』にも記されており、イエスの実在性とともに蓋然性が高いとされる。なお、十字架の刑は、当時のローマ法の規定によるものであった。 イエスの没年は、 ポンティウス・ピラトゥスの総督在任期間が(26-36年)であること、 既述のとおりイエスの生年の下限が紀元前4年と考えられること、 イエスが30歳ごろに宣教を始めたというルカによる福音書の記述(3章23節) などから判断して、おおよそ紀元後30年前後という想定は学界ではおおむね一致している。シュタウファー、弓削、土井正興は紀元後32年とみなしているが、紀元後31年説もあり、荒井は紀元後30年説を採る。八木は紀元後32年か紀元後31年としている。S.NOKAは、生誕を紀元8年、公生涯を紀元35~紀元38年の約3年半、磔刑を紀元38年4月7日(月)、昇天を紀元38年5月25日(金)としている。 いずれにしても、没年や福音書に記録されている祭典の回数などを信用すれば、イエスが宣教を行った期間は、3年ほどという短い期間だったことになる。
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