イエスの生年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/07 00:45 UTC 版)
一般に、イエスの生年は紀元前7年 - 紀元前4年頃とされている。紀元前7年とみなす説を採っているのがエテルベルト・シュタウファー(ドイツ語版)(Ethelbert Stauffer)や弓削達であり、荒井献や八木誠一は紀元前4年説に立っている。 これは、『マタイによる福音書』2章の、イエスがヘロデ大王の治世(紀元前37年 - 紀元前4年)の末期に生まれたという記述、および『ルカによる福音書』から推定されているものであるが、キリスト教以外の史料には該当の既述がないため、断定は困難である。 一方、「ナザレのイエスの誕生年は紀元8年」とする説をS.NOKAが2017年と2018年の著書で提唱している。これは、『ルカによる福音書』の第2章第2節(Luke 2:2)に、「クィリニウスがシリア属州の総督だった時に行われた最初の住民登録(人口調査)の年(This was the first census that took place while Quirinius was governor of Syria.)」と明記されていることをベースに、紀元6年、ローマ帝国がユダヤを皇帝属州として初めて直轄管理下におき(ユダヤ属州の始まり)、シリア属州総督クィリニウスがユダヤ属州総督を兼任した事をもって初めて住民登録(人口調査)が可能なのであって、それ以前にはローマ帝国が住民登録(人口調査)を実施する法的権限が無く(ローマ帝国は周囲の同盟国・友好国との良好な同盟関係に安定を依存しており、直轄管理下でないエリアで乱暴にも住民登録・人口調査をした例は一切見られない)、その後、紀元8年に初めてユダヤ属州で住民登録(人口調査)が実施された歴史事実に基づき、ナザレのイエスの生誕年を紀元8年と推定している。なお、その翌年の紀元9年には、クィリニウスはシリア属州総督の任を解かれ、公職から引退し、ローマに帰還し、紀元21年にローマで死去している。
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