アンステッドのアイデアマンとたたき上げの大金持ちの協力
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「バージニアン鉄道」の記事における「アンステッドのアイデアマンとたたき上げの大金持ちの協力」の解説
ウィリアム・ネルソン・ページは土木技術者で企業家である。ページはバージニア州生まれで、シャーロッツビルのバージニア大学を卒業し、まず1870年代にウェストバージニア州へやってきて、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道がニュー川とカナワ川 (Kanawha River) の渓谷で複線化を行う工事に協力した。 諸説を総合すると、華やかなページはこのころ「ページ隊長」(Colonel Page) として知られるようになってきており、ウェストバージニア州のファイエット郡 (Fayette County) の山奥の小さな町であるアンステッド (Ansted) に住んで、まもなくバージニア州とウェストバージニア州の山岳地帯で石炭と関連する産業に関わるようになった。 ページは、19世紀末から20世紀初頭にかけてウェストバージニア州の豊富な瀝青炭の炭田を開発し、その石炭を輸送する鉄道を建設して成功を収めた。彼の土木技術者としての経験により、ページはウェストバージニア州に埋蔵されている富を開発するのにうってつけの存在となっていた。元ウェストバージニア州知事のウィリアム・マッコークル (William A. MacCorkle) は、彼のことを「農夫が自分の土地について知っているがごとく、ウェストバージニアの土地を知っている」と評した。彼はエネルギッシュな企業家でもあった。こうしたことについて、作家のH.レイドはページについて「アンステッドのアイデアマン」という言葉でまとめている。 ヘンリー・ロジャーズは、マサチューセッツ州の労働者階級に生まれ育った投資家・実業家である。彼は若いうちに働き始め、パートタイムで彼の父親の食料品店を手伝い、新聞の配達をした。高校を卒業すると、彼は小さな鉄道で制動手として働き、金を貯めた。1861年、彼とその友人はペンシルベニア州の山へ出かけて、そこで南北戦争の最中に石油と天然ガスの開発に従事して、最終的にジョン・ロックフェラーのスタンダード・オイルのキーマンの1人となり、大金持ちとなった。ロジャーズはアメリカ合衆国でももっとも裕福な階層となり、また若いページ同様にエネルギッシュな企業家でもあり、多くの鉄道や鉱物資源の開発プロジェクトに関わっていくことになった。 ページがゴーリー・マウンテン石炭会社 (Gauley Mountain Coal Company) の社長をしていた頃に、ロジャーズはページと知り合いになった。ページは、南部ウェストバージニアのニューリバーバレーからガイアンドット川 (Guyandotte River) 下流にかけての、チェサピーク・アンド・オハイオ鉄道およびそのライバルのノーフォーク・アンド・ウェスタン鉄道がともにまだ到達していない地域に、未開発の豊富な瀝青炭が埋蔵されていることを知っていた。大鉄道会社がその近くの地域の炭田を開発し、石炭をハンプトン・ローズへ送り出すことに力を注いでいた中、ページはロジャーズと数名の投資家とともに、未開発の炭田を活用する計画を練った。こうして強力な協力関係が生まれた。
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