アンジョマンとジャーナリズムの成長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 17:03 UTC 版)
「イラン立憲革命」の記事における「アンジョマンとジャーナリズムの成長」の解説
第一議会で問題になったのは、テヘラン選挙区で選出された議員のみで開催されたことである。9月9日に公布された第一次選挙法の内容は以下の通りである。 選出された議員は156人。そのうち、テヘラン選挙区によって選出された議員は60名を占めた。 選挙人資格が6階層に分割していたこと(王族出身者、ウラマー、名士層、商人、地主、職人・手工業者)。 選挙人資格が25歳以上であるのと同時に、それぞれの階層によって選挙人資格に条件があったこと。地主であれば1000トマーン以上の不動産を保有、商人であればしかるべき店舗を構えていること、職人や手工業者であればしかるべきギルドに所属していること。 絶対的条件として、イラン国民であることが付帯された。 テヘラン選出の議員によって運営される議会は、地方選出の反発を生んだ。その中で台頭したのがアンジョマンと呼ばれる階層である。もともと、ペルシャ語で「集会」を意味したアンジョマンという用語がイランの政治で政治学的用語として確立したのはこのイラン立憲革命期である。とはいえ、アンジョマンのほとんどが必ずしも、特定の政治的立場やイデオロギーに基づいて組織化されておらず、同時に利害関係を代表する存在でもあった。したがって、最盛期にはテヘランだけで200の数に達したアンジョマンに対して、整理の必要性が迫られ、1907年5月には「州・県アンジョマン設置法」を制定することによって、公的なアンジョマンと私的なアンジョマンの区別の明確化を図った。また、一定程度の地方行政をゆだねたが、実際にアンジョマンが中央政府の期待に応える形で機能したのはラシュトやタブリーズのアンジョマンに限定された。 また、第一議会の時代にはジャーナリズム、特に、新聞の成長が顕著であった。革命以前に創刊されていた新聞は66紙に過ぎなかったが、1911年末の段階では335紙が発行されていた。イランの新聞ジャーナリズムは立憲革命支持の論陣を張った。
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