アンジュー=ハンガリー家の介入
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/12/05 03:22 UTC 版)
「ナポリ・アンジュー朝」の記事における「アンジュー=ハンガリー家の介入」の解説
「ラヨシュ1世のナポリ遠征」も参照 1343年にロベルトの孫娘ジョヴァンナ1世が王位に就いた。ジョヴァンナ1世はカーロイ・ローベルトの息子でハンガリー王ラヨシュ1世の弟であるエンドレ(アンドラーシュ、アンドレア)と結婚して共同統治を行うが、エンドレは1345年に暗殺された(ジョヴァンナの関与が疑われている)。折からナポリ王位に野心を抱いていたラヨシュ1世は、1347年にナポリへ軍を進めて支配下に置き、ジョヴァンナはフランスに亡命を余儀なくされた。しかし、ハンガリー・ナポリ間の「大アンジュー帝国」樹立を恐れたローマ教皇の介入の結果、1352年にラヨシュ1世はナポリ王位請求権の放棄を余儀なくされ、ジョヴァンナ1世はナポリに帰ることが出来た。 それでもラヨシュ1世の野望は消えず、その息がかかったドゥラッツォ公カルロ(カルロ2世の末子ドゥラッツォ公ジョヴァンニの孫)によってジョヴァンナ1世は1381年に廃位され、翌年に殺された。カルロはカルロ3世として王位に就き、さらにはラヨシュ1世死後のハンガリーでの王位を巡る争いにも介入し、国王カーロイ2世として即位するが、1386年に殺害される。
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