アルバイト〜会社員時代〜談志門下入門
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「立川志の輔」の記事における「アルバイト〜会社員時代〜談志門下入門」の解説
大学卒業後は、さまざまなアルバイトをしながら、劇団「シェイクスピア・シアター」や劇団「昴」の養成所に所属、演劇の勉強をする。その後、串カツ屋でのアルバイト生活がメインとなり、バイト後によく食事に行っていた新宿ゴールデン街で知り合った広告代理店関係者に誘われて、金沢の広告代理店「株式会社ニットー」に入社。テレビCM制作などに従事、ディレクターとして制作した仏壇店のコマーシャルは石川県で30年以上放映された。高校時代の同級生と結婚。28歳のころ、社長から「現場も営業も経験したけれどこれからどうする?」(社内でどの職種で働きたいか)という話があり自身ではそのころ、頭の片隅では落語のことが忘れられずに「半分以上は落語家がいいんじゃないか」と思いながらも「このまま会社にいるのは会社にも失礼で自分自身が辛く」、区切りをつけるために退社。 大学在学中の落研時代から3代目古今亭志ん朝への憧れが強かったが、国立演芸場での「談志ひとり会」で7代目(自称5代目)立川談志の『芝浜』を観たことが、談志に入門する決め手となった。この時の談志の『芝浜』は、従来の『芝浜』とは異なる作風へと劇的に変化したものだった。 「落語家になりたい」と思い会社を辞めた時期には、故郷の新湊高校で同級生だった女性と結婚をしていた。落語家への転職を半年近く悩み、大学の同級生で落研でも一緒だった談志門下の立川談之助に相談し、結果、落語家になる事を決意をする。談志門下には大学の後輩の立川談幸がいるが、志の輔のほうが入門が後だったため、談幸は兄弟子である。1983年1月、28歳で談志に入門。「志の輔」の前座名で立川流の落語家となる。
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