アメリカ合衆国からの内政干渉
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:52 UTC 版)
「PBSUCCESS作戦」の記事における「アメリカ合衆国からの内政干渉」の解説
その後1953年10月には、過去にギリシャでの反共産主義活動を支援し、保守派の結合を実現させ共産主義勢力を一掃させた実績もあるジャック・ピュリフォイがアメリカの駐グアテマラ大使として就任した。 その後ピュリフォイ大使は内外でアルベンス政権に対する批判を繰り広げたばかりか、反アルベンス派として知られた大地主のマリアン・ロペス・エラルテやグアテマラ軍内部の反アルベンス派への接触を行うなど、アルベンス政権打倒の姿勢を明確にした。また、このような一連の動きの裏で、アメリカ合衆国政府は反アルベンス派の兵士に破格の報酬を与えて秘密キャンプでの軍事訓練を開始した。 このように、アメリカ合衆国政府が反アルベンス派への軍事物資の供給を強化し活動を活発化したために、グアテマラ軍はこれに対抗して軍備の増強を図ろうとしてアメリカ合衆国企業に兵器の購入を打診したものの、アメリカ合衆国政府はこれを阻止しただけでなく兵器の禁輸措置を行った。このためにやむなくグアテマラが共産圏のチェコスロヴァキアからの兵器を輸入しようとしたが、この事実が1954年4月に明らかになると、ピュリフォイ大使はこれを「アルベンス政権の容共姿勢を象徴するもの」として大々的に批判し、アルベンス政権打倒に向けた一貫の行動を正当化する口実とした。 これらのアメリカ合衆国の露骨な内政干渉と政権打倒の姿勢を受けて、アルベンス政権もアメリカ人ジャーナリストの入国を拒否するなど対立姿勢を明確にすると、アルベンス政権とアメリカ合衆国との関係はもはや修復不可能なものとなり、1954年5月にグアテマラはアメリカ合衆国と断交するに至った。しかしピュリフォイ大使は公然とグアテマラ市内の大使公邸に居座り続け、反アルベンス派との接触を続けた。
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