アメリカの介入は民主主義を輸出していないという意見
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/23 16:13 UTC 版)
「アメリカ合衆国の外交政策」の記事における「アメリカの介入は民主主義を輸出していないという意見」の解説
ポール・W・ドレイク教授は、アメリカはまず、1912年から1932年にかけて、介入によってラテンアメリカ諸国に民主主義を輸出しようとしたと主張している。ドレイク教授によればこれは矛盾したものだったという。なぜなら国際法は介入を「他国の政治体制の状態の問題を変更しようとする目的で行われる独善的な干渉」と定義しているからである。研究は民主主義は国内的な状態の自発的な発展を必要とし、強制的に導入することはできないため、民主主義を擁護しようとする試みは失敗に終わると提言している。いわゆる「民主主義」を構成するものには同意できないところがある、ドレイクはアメリカの指導者がときに民主主義を選挙制度を持つ国家という狭義の意味で定義している主張している。ドレイクはより広い意味での理解が必要であると提案している。さらに、いわゆる「反乱」を構成するものにも同意できないところがある、ドレイクは国務省がいかなる類型の反乱、いわゆる「革命」と呼ばれるものや、そしていくつかの独裁に対する反乱の事例さえ承認しないことを見た。歴史学者のウォルター・ラフィーバーは「18世紀、世界の指導的地位にある革新的な国家だった(アメリカ)は、20世紀には現状を維持する指導的保護者になった」と述べている。 メスキータとダウンズは、1945年から2004年にかけて、アメリカの介入は35回にものぼり、唯一コロンビアでのケースにおいてのみ、介入から10年以内に「民主主義を完全に育てあげ、安定させ」ることができたと結論付けた。サミア・アミン・ペイは開発途上国が国家を建設しようとするとき、アメリカの介入後、大抵4年から6年かかることが分かったと主張している。ペイは世界各地の政体の研究のデータに基づき、大抵、アメリカの介入の努力が本当の民主主義を生み出すことはなく、ほとんどのケースで10年後にはより権威主義的な政府が現れたというメスキータとダウンズの意見に同意した。 ジョシュア・ムラヴシク教授は第二次世界大戦後のアメリカによる枢軸国の占領と民主化は重要だったと主張しているが、アメリカは第三世界において民主主義を奨励するのに失敗し、「アメリカの軍事的占領は民主国家を建設するための十分条件ではなかった」と主張している。アメリカの軍事的庇護は安定化の鍵であり、民主主義体制への移行を擁護するのに重要だったと思われているが、以前の枢軸国であったイタリアの民主主義の成功例は、国民一人当たりの高い収入のおかげであると思われている。スティーヴン・クラズナーは富と民主主義には関係があることに同意し、彼がロサンゼルス・タイムズに寄稿した研究の分析によれば、一人当たりの収入が6000ドルだったときは民主主義を達成することができ、そのような国がかつての専制政治に回帰する可能性はほとんどないという。
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