アマチュアリズム原理主義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 06:21 UTC 版)
「フランス・スポーツ競技社団連合」の記事における「アマチュアリズム原理主義」の解説
トーマス・アーノルドの教えに忠実だったUSFSAは、スポーツの教育力を支持しアマチュアリズムの防衛者だったが、それが彼らの内包する核心的問題でもあった。「プロフェッショナリズムはアングロサクソン的だ」という固定観念だけにとどまらず、イギリスの文化であるボクシングやレーシング系競技などはすべてギャンブルと不正に満ち満ちていて、そうしたものが少しでもはびこったら倫理も教育も台無しにされる、と考えていた。1881年にジュール・フェリーが安全・自由・規範的な学校教育を作るためには、生徒たちを金銭が絡むスポーツから遠ざけるべきだと主張した時に、USFSAのアマチュアリズム崇拝はさらに補強された。1880年代中盤にはジョルジュ・ドゥ・サン=クレールとErnest Demayが、陸上競技の「浄化」を訴えた。競馬と同じように、人間の競争も19世紀中盤にはギャンブルと金銭報酬に飲み込まれていたからである。彼らの浄化運動は勝利をおさめ、陸上競技を賭けの対象にしている者たちを処罰するに至った。USFSAは金銭欲とは無縁なパフォーマンスの向上・健康な肉体を称揚し、あらゆるプロフェッショナリズムを拒絶し、厳しいアマチュアリズム規則を制定した。「アマチュアとはあらゆる事後報酬・現場報酬、公然たる契約による賞金・賞品、などといったプロフェッショナリズムの伴う競技に生涯一度も手を染めたことがない者、労働者階級的な対価を得ていない有給教師・体育教師、などのことである」この頑強なアマチュアリズム原理主義が理由となって、彼らは1907年に自ら設立を呼びかけたFIFAを脱退することになり、国内サッカー統括権をめぐる競合相手であった連合間委員会に代表の座を譲った。
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