アベンハイム兄弟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/22 08:47 UTC 版)
「ブルウル兄弟商会」の記事における「アベンハイム兄弟」の解説
レオポルト・アベンハイム(1848年生まれ)の子供たちで、いずれもドイツ出身。6人兄弟(5男1女)の内、長女のアウグスタ(1877年生)と五男(末子)のパウル・グスタフ・エドゥアルド(1881年生)以外の4名が日本のブルウル商会で働いていた。 リチャード・アベンハイム(Richard Abenheim, 1868年5月2日 - 没年不明) アベンハイム兄弟の長男。 幼い頃(1872年頃)に実父のベルンハルト・ゴルドナーが亡くなり、母の再婚相手のレオポルトに引き取られる。 1887年、兄弟の中では最も早く来日し、設立間もないD&Mブルウル商会・横浜支店で働き始めた。 1898年、商会の日本支店の支配人に任命され、1903年にブルウル兄弟商会の日本支店がなくなると、翌年に同じ事業で商会を起こし、横浜、神戸に加えてニューヨークとロンドンにも支店を設け、自身はロンドン支店の運営のため1904年に日本を離れた。 カール・アベンハイム(Karl Abenheim, 1873年7月3日 - 1897年8月30日) アベンハイム兄弟の次男で、レオポルトの実子の中では最年長。 1889年に来日して、D&Mブルウル商会に雇われる。1897年に急死するまで同商会で働き、遺体は横浜の外国人墓地に埋葬された。 フリッツ・ベルトルト・アベンハイム(Fritz Berthold Abenheim, 1875年8月9日 - 没年不明) アベンハイム兄弟の三男。資料によっては「フリッツベルト」と表記されることがある。 1894年に来日し、兄たちと同様、ブルウル兄弟商会に雇われる。1897年に同商会の神戸支店に移り、1898年には神戸支店の支配人となる。 1900年に横浜に戻り、1903年にブルウル兄弟商会が日本の支店を廃止したため、兄と弟とそれを引き継ぎアベンハイム兄弟商会を設立。 自身はニューヨーク支店の経営のため、日本を離れる。 ルドルフ・エミル・アベンハイム(Rudolf Emil Abenheim, 1878年10月10日 - 没年不明) アベンハイム兄弟の四男。 1896年に父レオポルトとともに来日し、兄たちと同様、横浜のブルウル兄弟商会に雇われる。 1900年に兄フリッツと入れ替わりに神戸支店の支配人になる。 レオポルト・アベンハイム(Leopold Abenheim, 1848年6月26日 - 没年不明) アベンハイム兄弟の父親(リチャード以外の5人は実子)。 1896年、息子ルドルフ・エミルとともに来日し、やはりブルウル兄弟商会で働き、息子たちを助けた。 1903年に日本を去り、ドイツに帰る。
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