アフリカ人社会
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/08/04 02:17 UTC 版)
「グリーンズボロ (ノースカロライナ州)」の記事における「アフリカ人社会」の解説
グリーンズボロとその周辺にはアフリカの54の国から来た15,000人近い人々が住んでいる。ギルフォード郡に住んでいるアフリカ人の約10%は難民として移住してきた。異なるアフリカ人社会からの代表で構成される非営利組織、アフリカ人サービス同盟は様々な社会の協力関係を築こうとしている。幾つかの地域社会は1960年代からノースカロライナ農業・工業州立大学に起源があり、この大学が開発途上国によって貴重な教育源として初めて認められたのがこの年代である。ナイジェリア人とニジェール人の社会は約3,500人ないし6,500人と言われ、この地域でも最大のアフリカ人社会と見られ、歴史があり地域に根付いている。彼等は2世、3世世代もおり、様々な宗教と種族の伝統を反映している。 ギルフォード郡にいるナイジェリア人とニジェール人の子孫の多くは当初、ニューヨーク州、ニュージャージー州あるいはワシントンD.C.に移住し、その後公式の移民資格を得た後にグリーンズボロ地域に入ってきた。ギルフォード郡には多世代のガーナ人の血を継ぐ人々が約450人いる。最近到着した者は大半がこの地域にある大学の国際学生か、長くここに住んでいる者の友人あるいは一族である。シエラレオネ人を先祖に持つ約800人の定着した社会はギルフォード郡を本拠にしている。この人々は、その母国からの移民に適用された一時的保護条件が終わったために、近年ではあまり数が増えていない。 グリーンズボロのスーダン人は多様な民族であり、大半の人はここ5年以内にギルフォード郡にやってきた者達であって、その数は2,700人以上になっている。これら移民の多くは長引くスーダン内戦から逃げてきている。南部から来た若いスーダン人集団は通常「ロスト・ボーイズ」(失われた少年達)と呼ばれ、難民として最近グリーンズボロに再定着した。しかし、この地域のスーダン人の大半はスーダン北部のムスリム(男性イスラム教徒)である。過去1年の間にスーダン人の多くがアメリカ市民となり、そのことでスーダンから家族を呼び寄せることが可能となり、この1年で民族人口は数百人増えることになった。 ここ6年間でグリーンズボロに到着したソマリアからの難民約400人がおり、この中にはモガディシオ市からのアラブ系ベナディリ人や非ソマリア人であるバンツー族から新たに到着した難民が含まれている。 ギルフォード郡には推計1,200人のリベリア人が入っている。この数には最近到着した者や長年ギルフォード郡に住んでいる者も含まれている。ここ数年、アイボリーコーストやガーナの難民キャンプに住んでいた数百のリベリア難民がギルフォード郡に再定着した。
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