アフリカと中近東
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 03:04 UTC 版)
「初期のヒト属による火の利用」の記事における「アフリカと中近東」の解説
クラシーズ河口洞窟 カランボフォールズ ゲシャー・ベノット・ヤーコヴ 関係地図 イスラエルのベノット・ヤーコヴ橋(英語版)の河岸にあるゲシャー遺跡では、ホモ・エレクトスかホモ・エルガステルが79万から69万年前に火を使っていた証拠がある。焼けたオリーブ、大麦、ブドウの種や、木、火打石が残されており、火を使った確実な証拠としては、これが世界最古のものと見られている:88。 南アフリカのハーツ洞窟には紀元前20万から70万年前、モンタギュー洞窟には紀元前5万8千から20万年前、クラシーズ河口洞窟(英語版)には12万から13万年前のものと見られる跡がある。 ザンビアのカランボフォールズ(英語版)にも、焦げ跡、炭、赤く変色した土、燃えた植物、焼き固めた木の道具など、人類が火を使った証拠がいくつも見つかっている。放射性炭素年代測定やアミノ酸ラセミ化反応年代測定法により、年代は紀元前6万1000から11万年のものと見られている。 スティルベイ(英語版)文化のもとでは、火はシルクリート(英語版)石器の加熱処理にも使われていた。発見された石器は紀元前7万2千年前のものだが、加熱処理自体は16万4千年前から行われていた可能性がある。 イスラエルのテルアビブから12km東にあるケセブ洞窟(英語版)では、更新世後期である紀元前38万から20万年前に火を日常的に使っていた跡が残っている。強い火で加熱された骨や土の塊から、火の近くで獣を殺して解体したことを示唆している。
※この「アフリカと中近東」の解説は、「初期のヒト属による火の利用」の解説の一部です。
「アフリカと中近東」を含む「初期のヒト属による火の利用」の記事については、「初期のヒト属による火の利用」の概要を参照ください。
- アフリカと中近東のページへのリンク