アパルトヘイト撤廃後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 23:25 UTC 版)
「カラード (南アフリカ共和国)」の記事における「アパルトヘイト撤廃後」の解説
1994年の総選挙において、国民党はカラード有権者の6割強から支持を獲得し、白人以外の有権者を取り込むべく、1997年に新国民党として再編した。この政治的同盟には、国内外から困惑の声が挙がる事となり、一般的には白人とカラードが、アフリカーンス語や西洋式のライフスタイル等、共通の文化を有する事に起因するものと解釈されているが、7~80年代の反アパルトヘイト運動におけるカラードと黒人の同一化が上辺だけのものに過ぎなかった事と、アフリカ民族会議が政権を獲得した際に、アファーマティブ・アクションによって自身達の既得権益が失われる事への不安が、如何に大きいものだったかを露呈するものであったと言える。 20世紀後半以降、カラードによるアイデンティティ政治が影響力を増大するようになった。カラードが多く住む西ケープ州は、民主同盟などの野党が台頭し、反アフリカ民族会議の傾向が強い地域と見なされている。民主同盟は、新国民党の支持者を引き込むなど、多くのカラードからの支持を獲得した。2006年のケープタウン市議選では、民主同盟が圧勝する事となった。 アフリカ民族会議が与党となって以降、カラードは「十分に黒くない」と見なされるようになり、アパルトヘイト施政下に「十分に白くない」という劣等感に苛まれていた事も鑑みて、白人と黒人のどちらとも同化できない少数派であるという、人種的周縁性の問題を建国以来一貫して抱え続けている事が指摘されている。
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