アパルトヘイト政策の撤廃後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/09 03:02 UTC 版)
「南アフリカ航空」の記事における「アパルトヘイト政策の撤廃後」の解説
その後、1980年代終盤に南アフリカ政府がアパルトヘイト政策の撤廃を表明し、アフリカ諸国が上空通過と路線の開設を許可したため、ヨーロッパ線の所要時間が大幅に短縮された。1994年には全人種参加の普通選挙により黒人のネルソン・マンデラを大統領とした新政権が発足し、アパルトヘイト政策が完全に撤廃され、国際社会への復帰を果たした南アフリカは同年にアフリカ統一機構(OAU)にも加盟し、南アフリカ航空もアフリカ諸国への路線を開設できるようになった。 また、就航を禁止していた複数のヨーロッパ諸国も乗り入れを解禁したことから、飛躍的にその就航地を増やし、ニューヨーク線も再就航した。同時に各国の航空会社とのコードシェア便も開始された。 その後塗装を一新して、1997年には新国旗の色を元にしたデザインに変更された。スターボードのアフリカーンス語の表記を廃止して、国内線の機内ではズールー語やソト語でのアナウンスも開始された。また、2004年には南アフリカがICAOに復帰し、2006年には同社が世界最大の航空会社連合である「スターアライアンス」に加盟した。 2020年4月、新型コロナウィルス流行の最中に全社員に当たる4700人を解雇し、資産を売却する方向であると報じられた。
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