アドルフ・ヒトラーへの忠誠宣誓式
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「アドルフ・ヒトラーへの忠誠宣誓式」の解説
1944年11月12日(日曜日)朝、反共フランス義勇軍団出身の従軍司祭ジャン・ド・マヨール・ド・リュペ(モンシニョール)武装少佐(W-Stubaf. Mgr. Jean de Mayol de Lupé)によるミサが執り行なわれた後、フランス民兵団員はヴィルトフレッケン演習場のアドルフ・ヒトラー広場(Adolf Hitler Platz)に集合した。未だに民兵団のダークブルーの制服を着ている彼らが出席する、第三帝国総統アドルフ・ヒトラーへの忠誠宣誓式の予定時刻は午前9時とされていた。 雪が降る低い気温の中、「シャルルマーニュ」旅団の各部隊はアドルフ・ヒトラー広場の周囲に整列し、民兵団員の忠誠宣誓式を見届ける準備を整えた。演壇にはグスタフ・クルケンベルクSS少将、エドガー・ピュオ武装上級大佐、ジョゼフ・ダルナン、レオン・デグレルSS少佐(第28SS義勇擲弾兵師団「ヴァロニェン」師団長)が立ち、その後ろに「シャルルマーニュ」旅団の将校一同とフランスSS部隊査察部が並んだ。宣誓式に先立ち、ド・リュペ司祭は次のように演説した。 「 スターリンとボルシェヴィズムは純粋状態で悪の化身である。東方では神と悪魔が争っており、諸君は悪魔との戦いに武装親衛隊の階級をもって加わるであろう。誇りにせよ。アドルフ・ヒトラー総統万歳! 我らがフランス=ドイツの祖国万歳! 」 続いてクルケンベルクSS少将とピュオ武装上級大佐が手短に演説した後、忠誠宣誓式が開始された。ドイツ人将校が持つ剣に代表4名が左手を添え、民兵団員は忠誠宣誓の文言をフランス語で繰り返し述べた(しかし、民兵団員の多くは無言もしくは不明瞭に言うことでヒトラーへの忠誠宣誓を頑なに拒んでいた)。 民兵団員の宣誓終了後、「シャルルマーニュ」旅団の将兵(民兵団員も含め約7,000名)は「親衛隊の歌(縦ひ全てが背くとも)」(SS-Lied / Wenn alle untreu werden)を斉唱し、各部隊によるパレードが始まった。全軍の先頭は反共フランス義勇軍団出身の第58SS所属武装擲弾兵連隊長ジャン・ブリドー武装少佐が進み、続いて旅団の精鋭「名誉中隊」(Compagnie d'Honneur)が「親衛隊は敵地を進む」を歌いながら行進し、その後に残りの部隊と民兵団員が演壇の前を行進した。この時、自分の前を整列して行進する民兵団員の姿を見た「ヴァロニェン」師団長レオン・デグレルSS少佐は、「あの者たちを我が配下にしたい」とコメントした。 なお、このパレードの最中、「かしら(頭)、右!」の号令の際に民兵団員の1個小隊全員が誤って左を向いてしまい、観衆を困惑させる場面もあった(多くの民兵団員はドイツ語がわからなかった)。
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