アップルゲイト・ラッセン・カットオフ
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「カリフォルニア・トレイル」の記事における「アップルゲイト・ラッセン・カットオフ」の解説
アップルゲイト・ラッセン・カットオフあるいはアップルゲイト・トレイル(1846年-1848年開設)はカリフォルニア・トレイルをネバダ州のハンボルト川沿いラッセン沼地と呼ばれる所にある現在のライ・パッチ貯水池近くで離れるものだった。この道はカリフォルニアのシエラネバダ山脈が低くなってかわせる所まで北西に向かった。道はラビットホール・スプリングスを過ぎて、ブラックロック砂漠とハイロック・キャニオンを通り、最後は(100マイル (160 km) 近い砂漠の旅の後で)サプライズ・バレーに至り、標高6,300フィート (1,920 m) のファンダンゴ・パスへの急峻な道を登った。そこからは急な下りとなり、オレゴン州とカリフォルニア州の州境にあるグーズ湖のファンダンゴ・バレーに至った。グーズ湖の真南、デイビス・クリークでオレゴン・トレイルとカリフォルニア・トレイルが分かれた。アップルゲイト・トレイルは北西に進みロスト川に沿ってオレゴン州南東部に入り、現在の州間高速道路5号線にほぼ沿って真北に上がり、オレゴン州のウィラメットバレーに至った。 カリフォルニア側の枝道であるラッセン・カットオフ(1848年に熱心なオレゴンの金探鉱者の大きな援助で開設)は、ピット川に沿ったデビルズ・ガーデンを抜けて南西に進み、ラッセン山の東を通って現在のアルマナー湖で西に転じ、サクラメント川に近いラッセンの牧場に着いた。そこからはセントラルバレーを南に川を伝い、約110マイル (180 km) でサッターズ砦と金の採鉱地に着いた。この道は場所によって大変粗いので今日では森林の探索やハイキングの道としてのみ使われている。 アップルゲイト・ラッセン・カットオフは他の経路よりもおよそ150マイル (240 km) 長く、サッターズ砦に到着するまでに大体15日から30日余分に掛かった(最初にこの道を選んだ者にはほとんど分かっていなかった)が、フォーティマイル砂漠を避け、他の経路にある高い峠やきつい登坂も避けられた。ただし、大変不快な砂漠を通り、草が少なく十分な水も得られなかった。多くの者にとって悪い選択だった。初期にこの代替ルートを通った者の大半は、このルートに曲がった旅人が随いてくる者にこれが主要路だと誤って思わせる、それだけの純粋に不運だった。大半はその時までに道を知っていた案内人を雇うことなしで済ませており、アップルゲイト・ラッセン・トレイルについて書かれた案内書は持っていなかった。大半は数日あるいは数週間でも間違った道を来たと気付かなかった。1849年には7,000人ないし8,000人(その年にカリフォルニア・トレイルを進んだ旅人の約3分の1)が図らずもこのかなり長い道に入り、以前に来た旅人やその動物が砂漠を裸にし、最も手に入れやすい牧草を燃やしてしまっていたことに気付いた。動物達のためにほとんど飼料は残されておらず、多くの家畜を失い艱難辛苦した挙句にサッターズ砦から派遣された救助隊が着く前に物資が無くなって死ぬ者もいた。彼らはまだ涎を垂らしながらやっとのことで生き残って11月遅くにサッターズ砦に到着した。1853年までに他に速くて容易で短い経路が開発されアップルゲイト・ラッセン・カットオフを通る者はほとんどいなくなった。
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