アップルと財政問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/02 07:44 UTC 版)
「ビートルズの解散問題」の記事における「アップルと財政問題」の解説
1967年、ビートルズは自らの財産を運用するための会社、アップル・コアを設立した。この会社は音楽だけでなく映画や芸術等の傘下7部門を持つ巨大な企業であったが、経営に関して全くの素人である4人が会社をコントロール出来るはずもなく、結局成功したのはレコード部門だけだった。 レノンは設立後間もなく「会社は半年で無一文になるだろう」と語ったという。アップルはその資金を浪費し続け、会社の事業として創り出された作品のレベルは満足行く物ではなく、多くのフラストレーションとメンバー間の反目の原因となった。 4人はアップルの運営を、自分たち以外のきちんとした経営能力を持つ外部の実績者に委任することを検討したが、その際にバンドは2派に分裂してしまう。ポール・マッカートニーは妻のリンダの父親であるリー・イーストマンへの委任を主張したが、これ以上マッカートニーの発言力が強まるのを危惧した他の3人はローリング・ストーンズのマネージャーであった悪名高いアラン・クレインの起用を主張した。結果としてマッカートニーと他の3人の間で訴訟問題に発展する。結局クレインがアップルの運営に携わることとなったが、それは経営の悪化に対して明らかに力不足であり、その起用も遅すぎた。アップルは1975年にレコード・リリースを停止する。1990年代に幾つかのビートルズのタイトルをリリースした以外は、会社の活動は停止している。
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