アッシュールバニパル王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > アッシュールバニパル王の意味・解説 

アッシュルバニパル

(アッシュールバニパル王 から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/25 14:59 UTC 版)

アッシュルバニパルAssurbanipal[9]、在位:前668年[注釈 1] - 前631/627年頃)は、古代メソポタミア地方の新アッシリア帝国の黄金期最後のである。軍事遠征を積極的に行った。学問への関心も高く、アッシュルバニパルの図書館は有名。治世第17年に、バビロン王である兄、シャマシュ・シュム・ウキンが反乱を起こし、内戦が勃発。これを制した。死後、時を置かずアッシリア帝国は滅亡するが、治世末期の情報は少なくアッシュルバニパルの治世が帝国の崩壊とどのように関連するのかは不明瞭である。


  1. ^ 統治第1年(通年通して王であった最初の年)から数える。
  2. ^ Baltuashaguは恐らく棘のある低木の品種である。
  3. ^ Ulaiは現在のカールーン川である[27]イランフーゼスターン州を流れ、シャットゥルアラブ川に合流する。
  4. ^ 新アッシリア時代のイシュタル女神の神格は複雑であり、複数の「現地化」されたイシュタル神が存在していた。アッシュルバニパルはここで言及されている3柱のイシュタル(ニネヴェのイシュタル、キドムリの女王としてのイシュタル、アルベラのイシュタル)について別の碑文でも父エサルハドンに後継者として自分を指名させた神々として言及している。これらのイシュタルはその重要性において対等ではなく、最も重要な天界のイシュタル(Ištar-of-Heaven)、次いでニネヴェのイシュタルが他のイシュタルよりも上位の存在であった。キドムリはニネヴェに存在した神殿の名前であるが、言葉の意味は不明である。アッシリアの宗教的文書においてこれらの複数のイシュタルは明らかに別々の神である。また、これらのイシュタル神は「ムリッス」という名前も共有していた。ニネヴェのイシュタル神はある賛歌において、まず表意文字(シュメログラム)においてムリッス(NrN.LiL)と呼ばれ、次いで音節表記でイシュタル(Ištar)と言及されている[42][43]
  5. ^ ここでいう「アラブ人」は現代のアラブ人と厳密に対応する存在ではない。「集団名としてのアラブは、早くも前9世紀の新アッシリアなどの碑文に登場する。ただし、そのアラブが、アラビア語を話す言語集団を指しているとは限らず、アラビア半島に暮らす遊牧民を指す概念であった可能性も否定できない。実際、セム語派の諸言語においてこの語は砂漠遊牧民渡り鳥などと関連しており、クルアーンでも『アラブ』ではなく、複数形の『アアラーブ』が遊牧民を指して用いられている」(赤堀[50])。
  6. ^ リッバリ・シャラトの名前はかつてはアッシュル・シャラト(Ashur-šarrat)と読まれていた[62]。佐藤 1991においてもアシュル=シャルラトとカナ転写されている[63]
  1. ^ Lipschits 2005, p. 13.
  2. ^ a b c Na’aman 1991, p. 243.
  3. ^ a b c d e British Museum.
  4. ^ a b c d e f g h i j k l m n Mark 2009.
  5. ^ Finkel 2013, p. 123.
  6. ^ a b c d e f g Ahmed 2018, p. 8.
  7. ^ a b Novotny & Singletary 2009, p. 174–176.
  8. ^ a b Ahmed 2018, p. 65–66.
  9. ^ a b c d e f g h i j k l m Encyclopaedia Britannica.
  10. ^ Miller & Shipp 1996, p. 46.
  11. ^ a b c d e f g Delaunay 1987, pp. 805–806.
  12. ^ 伊藤 2014, p. 64.
  13. ^ Novotny & Singletary 2009, p. 168.
  14. ^ a b c d 伊藤 2014, p. 63.
  15. ^ Novotny & Singletary 2009, p. 168–173.
  16. ^ Ahmed 2018, p. 63.
  17. ^ Novotny & Singletary 2009, p. 170.
  18. ^ Ahmed 2018, p. 64.
  19. ^ a b Radner 2003, p. 170.
  20. ^ Ahmed 2018, p. 68.
  21. ^ Parpola 2007, pp. 232–234.
  22. ^ a b c Ahmed 2018, p. 80.
  23. ^ a b Mark 2014.
  24. ^ a b Radner 2003, p. 176–177.
  25. ^ a b Carter & Stolper 1984, p. 50.
  26. ^ a b c Ahmed 2018, p. 79.
  27. ^ Diakonoff 1985, p. 1.
  28. ^ Luckenbill 1927, pp. 299–300.
  29. ^ Luckenbill 1927, p. 300.
  30. ^ a b c d e 杉 1969, p. 281
  31. ^ a b ヘロドトス, 巻1§15
  32. ^ 杉 1969, p. 282
  33. ^ ヘロドトス, 巻1§16
  34. ^ Ahmed 2018, p. 88.
  35. ^ Ahmed 2018, p. 90.
  36. ^ 伊藤 2014, p. 71.
  37. ^ Luckenbill 1927, p. 301.
  38. ^ Ahmed 2018, p. 91.
  39. ^ Ahmed 2018, p. 93.
  40. ^ Johns 1913, p. 124–125.
  41. ^ 伊藤 2014, p. 75.
  42. ^ Spencer 2015, p. 141.
  43. ^ Porter 2004, pp. 43–44.
  44. ^ Luckenbill 1927, pp. 303–304.
  45. ^ Na’aman 1991, p. 254.
  46. ^ a b Carter & Stolper 1984, p. 51.
  47. ^ a b c Carter & Stolper 1984, p. 52.
  48. ^ Carter & Stolper 1984, pp. 52–53.
  49. ^ a b c d Gerardi 1992, pp. 67–74.
  50. ^ 中東・オリエント文化事典 2020, p. 108 「3. 人と言語」(赤堀)
  51. ^ Gerardi 1992, pp. 79–81.
  52. ^ Gerardi 1992, pp. 83–86.
  53. ^ Gerardi 1992, pp. 89–94.
  54. ^ Ahmed 2018, p. 121.
  55. ^ Reade 1970, p. 1.
  56. ^ a b Reade 1998, p. 263.
  57. ^ Na’aman 1991, p. 246.
  58. ^ Na’aman 1991, p. 250.
  59. ^ Na’aman 1991, pp. 251–252.
  60. ^ Collins 2004, p. 1.
  61. ^ Kertai 2013, p. 118.
  62. ^ Collins 2004, p. 5.
  63. ^ 佐藤 1991, p. 118.
  64. ^ Kertai 2013, p. 119.
  65. ^ Na’aman 1991, p. 248.
  66. ^ Tallqvist 1914, p. 201.
  67. ^ a b Frahm 1999, p. 322.
  68. ^ Na’aman 1991, p. 255.
  69. ^ Dalley 2003, p. 177.
  70. ^ Dick 2004, p. 15.
  71. ^ Chandler & Fox 2013, p. 362.
  72. ^ Budge 1880, p. xii.
  73. ^ Novotny & Singletary 2009, p. 171.
  74. ^ Ashrafian 2011, pp. 47–49.
  75. ^ Introducing the Assyrians.
  76. ^ Assurbanipal Abluting Harpies.
  77. ^ Fernandez 1987.
  78. ^ Fernandez, Elizabeth (1987年12月31日). “Statue of Assyrian king in skirt stirs controversy(衣服の裾がなびくアッシリア王の像をめぐる論争)”. The Telegraph(テレグラフ紙). 2019年12月5日閲覧。
  79. ^ Price 2001, pp. 99–118.
  80. ^ Nardo 2012, p. 88.
  81. ^ Pitts 2013.
  82. ^ a b Luckenbill 1927, p. 323.
  83. ^ Luckenbill 1927, p. 356.
  84. ^ Luckenbill 1927, p. 369.


「アッシュルバニパル」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  アッシュールバニパル王のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アッシュールバニパル王」の関連用語

アッシュールバニパル王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アッシュールバニパル王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアッシュルバニパル (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS