アストンマーティン傘下
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1947年にラゴンダはデヴィッド・ブラウンに買収され、彼がもう一つ買収したアストンマーティンと共にミドルセックスのフェルトハムに移転した。エガム・ハイスの古い工場はパターズ・リミテッドに渡り、A・P・グッドが経営権を取得した。生産はW・O・ベントレーの最後のプロトタイプ、新しいシャシーと完全に独立したサスペンションを装備した1948年の2.6リッターから再開された。新しい2580cc直列6気筒エンジンは1950年代のアストンマーティンエンジンの基礎となった。エンジンは1953年に3リッターに拡大され、1958年まで引き続き使用された。 多くの人がラゴンダのブランド名は姿を消したと思っていたが、1961年にラピードがアストンマーティン・DB4をベースにした4ドアサルーンとして復活した。ラピードはカロッツェリア・トゥーリングによるアルミニウム製ボディに3995ccエンジンを搭載し、125 mph (201 km/h)を発揮した。このとき、アストンマーティン-ラゴンダはバッキンガムシャーのニューポート・パグネルに移転した。ラピードは1965年まで生産された。 1969年にラゴンダのブランド名が短期間復活し、新しいDBSモデルの4ドアプロトタイプに使用された。このプロトタイプにはシャシー番号 MP230/1 が割り当てられ、1972年まで工場に保管された。この車はJPP 5Gというナンバーで登録され、デヴィッド・ブラウン卿が個人の車として使用した。元々は5リッターV8エンジンのプロトタイプが搭載されたが、これはすぐに初期の5.3リッター生産型 (VS4008EE) に換装された。 1974年から1976年の間に、7台のラゴンダ・4ドアサルーンが1969年のプロトタイプを元にして製造された。生産型は試作型のツインヘッドライトに換えて、ラゴンダの「蹄鉄」グリルにシングルヘッドライトを採用した。 1976年に新型のラゴンダ・サルーンが登場した。この大型で未来的なサルーンはウィリアム・タウンズが設計した。この正方形に近いくさび形の車はアストンマーティン・V8のコンポーネントを元に製作され、少なくとも1989年まで走行可能であった。 アストンマーティンは1993年のジュネーブ・モーターショーでラゴンダ・ヴィニャーレというコンセプトカーを発表した。 1993年から94年にかけて9台のラゴンダ・4ドアサルーンと7台のシューティングブレーク(後部ドアとトランク部分にレ・バカンスのバッジが装着された)が、アストンマーティン・ヴィラージュをベースに製作された。これらはアストンマーティンの歴史上唯一ファクトリーで製作されたシューティングブレークであった。6台は外国の王室が購入した。エンジンは5.3リッターV8 (310 HP) および6.3リッターV8 (500 HP) が搭載された。
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