アウディファクトリードライバー(2012-16)
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「ローレンス・ヴァントール」の記事における「アウディファクトリードライバー(2012-16)」の解説
ヴァンスールは2012年にフォーミュラからGTレースへと転向し、Wレーシング・チームよりFIA GT1世界選手権及びブランパン耐久シリーズに参戦することとなった。ステファン・オルテリとコンビを組んだFIA GT1世界選手権では開幕戦ノガロの2つのレースで優勝し、モスクワ戦の予選レースでも優勝を飾ってシリーズ4位に入賞した。 この年以後、ヴァントールはブランパンGTシリーズの2つの選手権を中心に活躍し、2013年にはスプリントカップの前身となったFIA GTシリーズの、2014年にはブランパンGTシリーズ(総合)及び耐久シリーズのチャンピオンを獲得した。また、2014年のスパ・フランコルシャン24時間レースではレネ・ラスト、マルクス・ヴィンケルホックと共にポールポジションからレースを終始リードし、最終のピットストップで首位に立った77号車BMWを追い抜いて母国の伝統あるレースを初制覇した。 2015年も引き続きブランパンGTの両シリーズへ参戦し、加えて5月のニュルブルクリンク24時間レースでも優勝を飾った。10月に行われたスプリントカップのミサノ戦では83号車ベントレーとの接触により右足腓骨と股関節を骨折し、スプリントカップの最終戦ザントフォールトとFIA GTワールドカップを欠場した。彼は12月に行われたセパン12時間レースでレースに復帰し、このレースで優勝した。同年にはオーク・レーシングのLMP2マシンを駆ってル・マン24時間レースにも初挑戦している。 2016年11月に行われたギア・サーキットでのGTワールドカップでは、5周目にアール・バンバーに首位を奪われた直後、マンダリン・ベンドでマシンが浮き上がる大クラッシュに見舞われた。しかしながら、このクラッシュにより4周目時点の順位を最終順位としてレースが終了することとなったため、レースが終了する原因となったヴァントール自身が優勝することとなった。アウディでの最後のレースとなったセパン12時間レースでは前年に引き続き優勝を達成し、これによりこの年より開催されたインターコンチネンタルGTチャレンジの初代王者となった。
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