アイルランドはイギリス最後のとりで?
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/28 10:13 UTC 版)
「第二次世界大戦期アイルランドの局外中立」の記事における「アイルランドはイギリス最後のとりで?」の解説
ドナル・マッキャロンは著書「Wings over Ireland - History of the Irish Air Corps」の中で、機密にされていたラスダフ飛行場について詳細に説明している。彼によれば、早くも1940年の夏に英愛両政府はイギリス侵攻が成功する「終末のシナリオ」を懸念していたという。 イギリス空軍はアイルランドでの戦闘を継続するために少なくともひとつの飛行場を必要とし、アイルランド軍とイギリス軍はアイルランド南部の飛行場を密かに探していた。アイルランドの他地域はリムリック近郊のリエアンナ飛行場とダブリン空港、ダブリン近郊のバルドネル飛行場(英語版)でカバーできるため、イギリス空軍は南東の海岸近くの位置を熱望していた。 一方でアイルランド軍は、その位置がドイツ軍の急速な侵攻で破られる事を危惧して反対したので、最終的にはティペラリー県南部のギャルティ山脈(英語版)の東に位置するシュア川(英語版)の渓谷に建設する事で合意した。 アイルランド軍は、ドイツが侵攻してきた際に使うため7マイル離れた修道院の学校の近くに極秘で司令部を建設していたため、その点でも好都合だった。ラズダフという名称の由来はそのような名前がミュンスターの至る所で見られる事から、偽装目的で選ばれた。いずれの位置も、通常の軍事作戦のための境界線からは完全に外れていた。 1941年にヒトラーが独ソ戦を開始した事で、イギリス侵攻の可能性は遠のいた。1942年秋、アイルランド陸軍は4年間の計画と訓練の成果を試すため大規模な演習を行うことを決定した。演習の一環として、機密だった「ラスダフ」が一部公開され、演習中はアイルランド第2師団の飛行場として使われた。演習後、「ラスダフ」の土地は以前の用途であるサラブレッド牧場に戻った。
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