われ思う、ゆえに我あり
別表記:我思う、故に我あり、我惟う、故に我在り
「われ思う故に我あり」とは、17世紀フランスの哲学者ルネ・デカルトが哲学の第一原理として打ち立てた命題である。あらゆる物事が虚偽かもしれないとしても、その「疑う私」という存在そのものは疑いようがない、という発見を端的に示す命題として知られている。
デカルトは古代ギリシアから続いてきた哲学の伝統や常識などをそのまま踏襲することなく、一切の前提を捨てて真理の探究を行った。「われ思う故に我あり」は、その探究の第一歩と位置づけられる。デカルト以降の近代哲学の出発点にもなり、近代から現代に続く西洋哲学の流れにも決定的といってよいほど大きな影響を与えている。
「われ思う故に我あり」は、ブランス語で書かれた「方法序説」で提唱されており、原語は「Je pense, donc je suis」とフランス語で叙述されている。今日ではラテン語で表現された「Cogito ergo sum(コギト・エルゴ・スム)」の方がよく知られている。英語では「I think, therefore I am.」と訳される。
「われ思う、ゆえに我あり」と「方法的懐疑」
「われ思う、ゆえに我あり」は、デカルトが「方法的懐疑」に基づいて提唱した命題である。「方法的懐疑」とは、すべての知識や認識について疑問を持つという思考の方法である。感覚、常識、先入観、先人の教えなどの一切合切を疑うわけである。
そのように一切合切を疑ってみると、絶対確実といえるものは何もないかのように思われるが、「私という存在が物事を疑って見ている」という事実だけは否定しようがないということが見出される。
私が思考しているということは、思考している私が存在するということの証である。つまり「私は考える、ゆえに私は存在する」。「われ思う、ゆえに我あり」は、これの文語的な表現である。
我(われ)思(おも)う故(ゆえ)に我(われ)在(あ)り
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