ろう学校の出現
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 18:45 UTC 版)
18世紀後半、イングランド、フランス、ドイツで相前後してろう学校が設立され、ろう教育は個人教授の時代から学校教育の時代に入る。 スコットランドのエジンバラ生まれのろう教育家、トマス・ブレイドウッドは1766年、エジンバラ市内に私設のろう学校を設立。1783年にこのろう学校はロンドンに移転した。またフランスの哲学者・神学者シャルル・ミシェル・ド=レペは1760年頃、パリでろう学校を設立した。1778年にはライプツィヒでザムエル・ハイニッケがろう学校を設立した。 ブレイドウッドはジョン・ウォリスによる書記言語と指文字を使った教育法を基礎としていた、ド=レペはボネットによるスペイン系の教育法から出発し、独自の手話を考案してろう教育を行った為、一般的に手話法の元祖であると見なされる。一方、ハイニッケは指文字や手話、ジェスチャーを厳密に排除した口話法を採用していた。なおド=レペとハイニッケは文通によってろう教育についての情報交換を行っていたが、彼らが用いた言語はラテン語である。ハイニッケはド=レペに自らのろう学校を視察に来るようにも勧めたが、これは実現しなかった。 ド=レペの設立したろう学校は、その後オーギュスト・ベビアンらによって手話法を更に進化させていった。ベビアンは手話法に加えて書記言語の必要性を指摘し、一方で口話や読話は重視しなかった。こうしたことから、ベビアンはバイリンガルろう教育の元祖と見なされることもある。 ド=レペの手話法は19世に入るとトーマス・ホプキンス・ギャローデットによってアメリカ合衆国にも普及した。また19世紀ヨーロッパではド=レペの手話法が広く受容され、ハイニッケの口話法は衰退していった。アメリカに最初のろう学校(アメリカンろう学校)が創立されたのは1817年である。
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