ふたたび軽演劇へ
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1990年(平成2年)に入って出演数が激減し、同年8月に公開された『痴漢電車 おさえて発車』(監督小林悟)が最後の成人映画への出演作となるが、1992年(平成4年)2月13日に公開された『紅蓮華』(監督渡辺護、主演秋吉久美子)、1998年(平成10年)11月21日に公開された『ちぎれ雲 いつか老人介護』(監督山口巧、主演細川直美)といった一般映画には出演した。それと前後して、劇団にんげん座の年に一回の公演に熱心に参加し始める。2003年(平成15年)1月に始まった両国シアターΧでの浅草をテーマにした軽演劇のシリーズには皆勤し、「軽演劇の至宝」と謳われた。劇団ではそのキャリアが培った「帯の締め方」「舞台での歩き方」「唄の唄い方」等、若い座員への指導が上手で重宝した存在であったという。劇団では「勝ッちゃん」、そのキャラクターから「おっかさん」と呼ばれていた。癌の手術後、認知症のため、飯田一雄が堺を出番から外したため、2010年(平成22年)2月の『ある日の浅草』への出演が最後になった。 2012年(平成24年)12月10日、東京都豊島区西池袋の自宅で病気のため死去した。満82歳没。堺を育てたという実姉は、堺の晩年まで埼玉県川口市に住んだが、最晩年の数年間には音信不通になったという。いわゆる孤独死であり、その死が発見されたのは、同月27日であったという。堺の遺体は無縁仏として処理されたという。久保新二は、その死を石動三六に知らされたのは翌2013年(平成25年)の夏であったといい、これをきっかけに、同年8月25日には「君は『未亡人下宿』を見たか? 名優たちを偲ぶ会」を開催し、野上正義、たこ八郎、吉田純ら、先に亡くなった俳優たちとともに堺の生前を偲んだ。
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