その後の発展と廃止
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/13 06:50 UTC 版)
「救貧院 (ワークハウス)」の記事における「その後の発展と廃止」の解説
1905年に王立委員会は、ワークハウスが異なった分類の収容者を扱うには向いてないとして、貧困者の分類ごとに特化した施設を設立し正しく訓練された職員によって収容者を適切に扱うよう勧告を出した。「制止された」ワークハウスは、「飲んだくれやのらくら者、浮浪者」といった救いようのないもののために残して置かれた。1929年の地方自治法により、地方自治体はワークハウスの診療所を市営の病院として引き取る権利を与えられたが、ロンドン市外で実際に引き取った地方自治体はほとんどなかった。また同法律により1930年4月1日をもってワークハウスは廃止となったが、その多くは生活保護施設 (Public Assistance Institution)と改称して地方自治体の管理下で存続した。1939年の第二次世界大戦勃発時においてもまだおよそ100,000もの人がかつてのワークハウスに収容されており、そのうち5,629人は子供であった。そして1948年に国民扶助法が制定されたことにより救貧法は最後の痕跡まで無くなり、それとともにワークハウスは廃止となった。残された多くの建物は地元の自治体が運営する老人ホームへと転用され、1960年の段階で地方自治体が運営する老人ホームの半数以上はワークハウスを転用したものであった。南ロンドンのペッカムにあるキャンバーウェル救貧院は再定住センターと改称され、保健社会保障省のもとで1985年まで1000を超えるホームレスを収容し続けた。サウスウェル救貧院(現在は博物館)は1990年代初頭まで母子を一時的に収容する施設として利用された。
※この「その後の発展と廃止」の解説は、「救貧院 (ワークハウス)」の解説の一部です。
「その後の発展と廃止」を含む「救貧院 (ワークハウス)」の記事については、「救貧院 (ワークハウス)」の概要を参照ください。
- その後の発展と廃止のページへのリンク