その後の田園都市
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/27 09:04 UTC 版)
ハワードによる田園都市の提案と、その実現であるレッチワースとウェリン・ガーデン・シティは、世界各地の建築家や都市計画家に影響を与えた。たとえばドイツでは、田園都市構想の影響によってヴァイマル共和国時代にドイツ各地で建築家ヘルマン・ムテジウスやブルーノ・タウトらによる住宅開発計画が進められている。(ジードルングを参照) アメリカで1909年からニューヨーク郊外に計画されて開発された郊外住宅地フォレスト・ヒルズ・ガーデンズ(Forest Hills Gardens)も、この田園都市運動の影響下に建設されたものである。建設した財団研究員のクラレンス・ペリーはここに居住して近隣住区論を発表している。さらに、この近隣住区論を実践しようと開発されたニュージャージー州のラドバーン(Radburn)では、車と人を分離する道路システムが生み出された。この近隣住区とラドバーン計画の考え方は、世界各地の都市建設で活用されている。 ハワードは1928年に没するが、レッチワースなどの成功はイギリス政府を刺激し、大ロンドン計画をもとに、第二次世界大戦後の1946年にニュータウン法が制定され、政府の手で30以上のニュータウン・コミュニティが建設された。 21世紀の今日でもニュータウン建設や郊外住宅建設にあたってはハワードの理論が引用されることが多いが、実際にイギリス以外に建設された郊外都市の多くには職場がほとんどなく、田園都市の美名の下、いわゆるベッドタウンであり理論どおり職住近接の自立した都市や住民によるコミュニティが実現する例は多くない。 アメリカ合衆国の都市著述家であるジェイン・ジェイコブズは、ハワードの「田園都市論」を批判している。ハワードの街の思想は動線等について非常に合理的な考え方がみられること、街並みを美しくするため規則正しく設計する手法、これらを規則に則って生活を強いているとして街はもっと様々なことがミックスされることが必要であると唱えている。
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