その後の甲相関係
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/10 14:29 UTC 版)
武田領国は織田家臣により支配されるが、同年には上方で本能寺の変により織田信長が横死したため武田遺領は空白地となり、北条氏は甲斐・信濃の武田遺領を巡り家康と争う(天正壬午の乱)。甲斐は乱を制した家康により支配され、豊臣政権が確立すると甲斐は北条領国との最前線として豊臣系大名が配置されるが、小田原征伐により北条氏は豊臣政権に屈服・滅亡した。
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