その後の発展と終わり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/04 02:55 UTC 版)
享保15年には「竹田式陸船車(構造は門弥式に近いが踏車型機構を後輪側につけたため三輪で、方向転換も可能、外装を飾っている)」が見世物として京都竹本座で民衆の噂となる。これらの噂に触発されて、自走のカラクリを研究した彦根藩藩士の平石久平次時光(ひらいし くへいじ ときみつ)が、近代の自転車に近似する「新製陸舟車」を享保17年に発明する(竹田式も久平次式も前輪とハンドル部位を縄でつないで方向転換を可能としている)。自走機構が踏車型の歯車からクランクペダル式となったため、さらに小型化。これらは、それぞれ影響しあって享保年間という短い期間に発展した乗り物という事になる。個人的発明で終わって量産化されず、近代以降は古文書(設計図)や書物に残るのみとなった。18世紀末の時点で造られなくなったものと考えられる。
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