その後の国勢調査とIBM
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この技術が会計や在庫管理に利用できることは明らかだった。ホレリスは1896年、タビュレーティング・マシン社 (Tabulating Machine Company, TMC) を立ち上げた。同年、Hollerith Integrating Tabulator を発売。これは単に穴を数えるだけでなく、数値を穴の列で符号化し、それを累算していくことができる機械である。パンチカードの読み取りは従来と同じ水銀を使ったものだった。1900年に発売した Hollerith Automatic Feed Tabulator は自動カードフィード機構を備え、1900年の国勢調査に採用された。しかし1901年、国勢調査局の長官ロバート・ポーターは大統領が代わることに伴って局を去り、イギリスへ帰国することとなった。ちなみにポーターはイギリスでブリティッシュ・タビュレーティング・マシン社を設立。これが後のICT(さらに後にはICL)となった。国勢調査局の新長官とホレリスの関係はうまくいかず、国勢調査局はジェームズ・ルグラン・パワーズ(英語版)という技術者を雇ってタビュレーティングマシンの改良を行わせた。パワーズはタビュレーティングマシンに印刷機能をつける改良を行い、やがてパワーズ会計機(英語版)会社を創立した。 プラグボードは1906年の Type 1 で導入された。1911年、ホレリスの会社を含む4社が合併しコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・コーポレーション (Computing-Tabulating-Recording Corporation, C-T-R) となった。1920年代には印字機能つきのタビュレータ、プラグボードを着脱可能なタビュレータが登場。1924年、CTRはインターナショナル・ビジネス・マシンズ (IBM) と改称。IBMはタビュレーティングマシンの改良を進めていった。 1950年代に電子式コンピュータが製品化されてからもタビュレーティングマシンは広く使われ続けた。なお、パワーズ会計機も1927年にレミントンランドに買収され、スペリーによる買収を経て現在のユニシスに至る。 タビュレーティングマシンの用途の多くは、IBM 1401 などのコンピュータに置き換えられていった。FARGO(英語版)とRPGというプログラミング言語は、そのような移行のために開発された。タビュレータの制御パネル(プラグボード)はマシンサイクルに基づいているので、FARGOとRPGはマシンサイクルの記法をエミュレートしており、プログラミング教材はプラグボードと言語のコーディングシートの関係を示していた。
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