その後の国勢調査とIBMとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > ウィキペディア小見出し辞書 > その後の国勢調査とIBMの意味・解説 

その後の国勢調査とIBM

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/28 02:38 UTC 版)

作表機」の記事における「その後の国勢調査とIBM」の解説

この技術会計在庫管理利用できることは明らかだったホレリス1896年タビュレーティング・マシン社 (Tabulating Machine Company, TMC) を立ち上げた同年、Hollerith Integrating Tabulator を発売。これは単に穴を数えるだけでなく、数値を穴の列で符号化し、それを累算していくことができる機械である。パンチカード読み取り従来と同じ水銀使ったのだった1900年発売した Hollerith Automatic Feed Tabulator は自動カードフィード機構備え1900年国勢調査採用された。しかし1901年国勢調査局長官ロバート・ポーターは大統領代わることに伴って局を去りイギリスへ帰国することとなったちなみにポーターイギリスでブリティッシュ・タビュレーティング・マシン社を設立。これが後のICT(さらに後にはICLとなった国勢調査局新長官とホレリスの関係はうまくいかず、国勢調査局はジェームズ・ルグラン・パワーズ(英語版)という技術者雇ってタビュレーティングマシン改良を行わせた。パワーズタビュレーティングマシン印刷機能をつける改良行い、やがてパワーズ会計機英語版会社創立したプラグボード1906年Type 1導入された。1911年ホレリス会社を含む4社が合併しコンピューティング・タビュレーティング・レコーディング・コーポレーション (Computing-Tabulating-Recording Corporation, C-T-R) となった1920年代には印字機能つきのタビュレータ、プラグボード着脱可能なタビュレータが登場1924年CTRはインターナショナル・ビジネス・マシンズ (IBM) と改称IBMタビュレーティングマシン改良進めていった。 1950年代電子式コンピュータ製品化されてからもタビュレーティングマシン広く使われ続けた。なお、パワーズ会計機1927年レミントンランド買収されスペリーによる買収経て現在のユニシスに至る。 タビュレーティングマシン用途多くは、IBM 1401 などのコンピュータ置き換えられていった。FARGO(英語版)とRPGというプログラミング言語は、そのような移行のために開発された。タビュレータの制御パネルプラグボード)はマシンサイクルに基づいているので、FARGOとRPGはマシンサイクルの記法をエミュレートしており、プログラミング教材プラグボード言語コーディングシートの関係を示していた。

※この「その後の国勢調査とIBM」の解説は、「作表機」の解説の一部です。
「その後の国勢調査とIBM」を含む「作表機」の記事については、「作表機」の概要を参照ください。

ウィキペディア小見出し辞書の「その後の国勢調査とIBM」の項目はプログラムで機械的に意味や本文を生成しているため、不適切な項目が含まれていることもあります。ご了承くださいませ。 お問い合わせ



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「その後の国勢調査とIBM」の関連用語

1
8% |||||

その後の国勢調査とIBMのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



その後の国勢調査とIBMのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
Text is available under GNU Free Documentation License (GFDL).
Weblio辞書に掲載されている「ウィキペディア小見出し辞書」の記事は、Wikipediaの作表機 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS