その他有名棋士たちの盤外戦術
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「盤外戦」の記事における「その他有名棋士たちの盤外戦術」の解説
米長邦雄は、1990年(1989年度)の第39期王将戦で挑戦者となったとき、「横歩も取れないような男に負けては御先祖様に申し訳ない」と新聞紙上でコメントし、横歩取り戦法をほとんど指さなかった南芳一王将(当時)を挑発した。すると、南は対局で横歩を取った。ちなみに、この七番勝負では2局が横歩取りとなり、1勝1敗であったが、七番勝負は米長が勝っている。ただし、米長は、後年「盤外戦術は不利な方がやると相場が決まっている。そんなものをしかけてしまっては、不利と焦りを認め、相手に自信を付けさせるだけでかえって損」と語っている。 加藤一二三は、しきりと対局条件に注文をつけることで有名で、盤駒の交換申出から冷暖房の調子、果ては「(地方の旅館でのタイトル戦で)庭園の滝の音がうるさいから止めてほしい」と言ったことがある。また、先に対局場にきて何も気にせず上座に座る、対局中にも空咳、空打ち、相手の背後に回って相手の視点から局面を見る、などの奇行が多い。これが意図的な盤外戦なのか単に神経質なだけなのかは不明だが、これらを気に病んだ棋士が日本将棋連盟の理事会で「加藤の奇行をやめさせろ」と提起したことがある。なお、加藤本人は、「ストーブにしろエアコンにしろ盤の位置にしろ、どっちでもいいじゃないかと思われるかもしれない。でも、勝負師としてそこで譲ってしまってはいけない。自分の主張を通そうとするのは『絶対に勝つんだ』という強い意識の表れで、引いてしまったら上下関係が決してしまう。勝負師たるもの、盤外戦ととられようと主張すべきところは絶対に主張すべき」と述べている。 中原誠は、大山ほどは盤外戦は使わなかったが、終盤で勝ちを読み切るとトイレに立つという習慣があった。これには環境を変えて読み直しを行うことでポカを防ぐという意図があったが、この習慣が他の棋士に知れ渡るにつれて、中原が終盤でトイレに立つだけで戦意を半ば喪失する対戦相手も少なくなかった。また、米長邦雄との対局時、本来誰にも知られてはいけないはずの「封じ手」を行う際に、あろうことか対局相手である米長に対し、「△4六角を△3七角成とするにはどう書いたらいいか」と尋ねた。 藤井猛は、2000年度の第59期順位戦B級1組で郷田真隆・三浦弘行とA級への昇級枠2つを巡って争っていたが、最終戦を前にして郷田・三浦は勝てば昇級となるのに対して、藤井は自分が勝った上で郷田・三浦のどちらかが負けないと昇級にならないという状況であった。そんな中最終戦の対局日を迎えたが、折しも将棋会館では王座戦も予定されており、王座戦2局を特別対局室で、順位戦B級1組の5局を大広間で行う予定となっていた。ここで藤井が「2人の前では指したくない。特別対局室で指したい」と主張し、その通りに部屋が変更された。対局結果は藤井が勝利、三浦と郷田はどちらも敗北となり、藤井はA級入りを決めた。河口俊彦はこれを、「言いたいことを、はっきり言った者が勝ち、変に我慢した方が負ける」と評している。
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