その他の通説について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/18 07:15 UTC 版)
まとめサイトなどでは、「暫」で用いられる衣装を「法被」と表現する事がある。「暫」で用いられる衣装は「素袍(素襖)」であり「法被」ではない。「法被」は能で用いられる衣装で袷法被は源氏などの武将や鬼畜類の扮装として用い、単法被は平家の公達の鎧姿として用いられる。歌舞伎の連獅子では法被が用いられるが、明治以後のことであり、江戸時代には当時式楽であった能の衣装を用いることは許されないことであった。江戸時代に「暫」の衣装を「素袍」と表現して記録としているものは、#二代目市川團十郎が名の由来という通説についてに引用した『三升屋二三治戯場書留』のほか、以下に引用する『柳多留』『川柳評万句合』内の川柳がある。 ぬつて居るすわうしばらく人たかり 柿の素袍に中受のしぶつ面 また2021年現在印半天と同様の意味で使われ、祭りなどで着用する法被でもない。この場合の法被は火事羽織を前身とし、明暦3年(1657年)の振袖火事に浅野家300から500石位の武士たちが柿色木綿羽織に大紋をつけて出場したのを起源とする。印半天は法被を模した物で、文化頃に生じ、江戸では文化頃から法被が廃れ印半天が盛んになった。法被は印半天より上格であり武家下僕、鳶、町家雑用人などが着用した。印半天は町人、鳶、諸工、小商人も用いた。法被は襟紐があり襟をそらして着ていた、半天は襟をそらさない。明治になって法被は滅び印半天が盛んとなったが、両者は混同され法被の名が残った。この意味で暫の衣装を「法被」と表現する事は団十郎朝顔に関する通説以外には見いだせない。 以上のように主にネット上で流布する通説は、黄蝉葉「団十郎」という特定の1品種、歴史的に「団十郎」と呼ばれた朝顔の歴史を混同しており、また、文献の引用の誤り、誤読、文献に無い事象の付け加えにより黄蝉葉「団十郎」が江戸時代からの品種という説が生まれ、さらにアサガオの生理的性質の理解不足などが重なり、事実とは異なる記述になっている。
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