すいにん‐てんのう〔‐テンワウ〕【垂仁天皇】
垂仁天皇
垂仁天皇も伝承の多い天皇で、皇后狭穂姫とその兄狭穂彦との謀反、皇后狭穂姫が戦いの火中で生んだ誉津別皇子が口がきけなかったという伝承。
また、出雲の野見宿禰の武勇伝(力士の始祖といわれている)や野見宿禰の献策によりそれまで行われていた殉死をやめ、土師部の作った土偶(埴輪の起源)を陵の周囲に廻らしたという。
さらには田道間守(たじまもり)が常世国へ非時の香菓(ときじゅくのかぐのみ)を探しにいって帰ってみると天皇はすでに140歳で没しており、田道間守はこれを嘆き悲しみとうとう死んでしまったという伝承がある。
中国にもこれに似た話があったように思う。
第11代天皇 | |
天皇名 | 垂仁天皇 |
読み方 | すいにんてんのう |
名・諱等 | 活目入彦五十狭茅尊 |
読み方 | いくめいりひこいさちのみこと |
時代区分 | 神代 |
天皇在位 | 前29?年から70?年 |
生年 | 生年不詳 |
没年 | 没年不詳 |
父 | 崇神天皇 |
母 | 御間城姫 |
兄弟 | 豊城入彦命・豊鍬入姫命・渟名城入姫 |
配偶者 | 狭穂姫・日葉酢媛 |
皇子女 | 大足彦忍代別 |
即位宮 | 纒向珠城宮 |
天皇陵 | 菅原伏見東陵 |
所在地 | 奈良県奈良市尼辻西町 |
垂仁天皇 菅原伏見東陵
(すいにんてんのう すがわらのふしみのひがしのみささぎ)
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