ごみ焼却施設移転問題
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「平城・相楽ニュータウン」の記事における「ごみ焼却施設移転問題」の解説
2002年(平成14年)以前 1992年(平成4年)- 奈良市環境清美センターについて奈良市は、一般廃棄物処理基本計画において2000年度をめどに奈良市内に移転する(環境清美第2工場を建設する)方針を決定。 1990年代半ば - ダイオキシンの危険性が指摘されるようになり、ニュータウンの住民の間に施設の移転を求める声が高まる。 1997年(平成9年)- 移転先の用地交渉は難航したため奈良市は方針を変更。大川靖則市長は左京地区自治連合会に移転ではなく焼却炉の建て替えを打診。 1999年(平成11年)- 建て替えの場合は代償としてコミュニティーセンターや文化センターを建設するという奈良市の提示したプランに対し、移転か建て替えかを巡って右京・神功・朱雀・左京の各自治連合会での対立が起こったため、「新春を祝う会」で初めて4自治連合会合同ではなく「左京・朱雀連合会」と「右京・神功連合会」に分割。 1999年(平成11年)- 新しい一般廃棄物処理基本計画で移転と建て替えの両方を検討するとの記述に変更。 2001年]平成13年)8月15日 - 左京1丁目-4丁目自治会、平城左京団地自治会、アルス高の原自治会、ローレルスクエア自治会が奈良市に撤去を求める決議書と798世帯分の署名を提出。 2002年(平成14年)- 一般廃棄物処理基本計画で環境清美第2工場の建設を見送り、焼却施設を更新することを正式に決定。 2003年(平成15年) 1月27日 - テレビ東京系列「ジカダンパン!責任者出て来い!」においてごみ焼却施設移転問題が取り上げられる。 8月26日 - 奈良市から移転について明確な回答が得られないことを受け、平城ニュータウン周辺6地区の住民3195人が移転を求めて奈良県公害審査会に公害調停を申請。 12月22日 - 共済会館「やまと」で奈良県公害審査会の第1回調停が行われる。 2004年(平成16年) 2月13日 - 奈良県公害審査会の第2回調停において、奈良市が調停中は建て替えはしないことを初めて明らかにする。 3月5日 - 奈良県公害審査会の調停委員が奈良市環境清美センターの中央制御室や触媒反応塔、奈良市立左京小学校や周辺のマンションなどを視察。 9月5日 - 移転を奈良再生プログラムで公約に掲げる鍵田忠兵衛が奈良市長に当選。 11月8日 - 公害調停申請人の会15人が、鍵田忠兵衛奈良市長(当時)に移転公約を早期に実現するよう求める要望書を提出。 2005年(平成17年) 1月24日 - 奈良県公害審査会の第8回調停において、奈良市が初めて2014年度を目標に工場を移転する方針を示す。 10月19日 - 非公開で開催された奈良県公害審査会の第19回調停において、奈良市側と住民が調停案に合意。 12月26日 - 奈良県公害審査会の調印式が奈良県庁で行われる。調停案には2006年3月末までに「ごみ焼却施設移転建設計画策定委員会」を設置することが明記された。
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