いわゆる「アガーテ音型」について
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「弦楽六重奏曲第2番 (ブラームス)」の記事における「いわゆる「アガーテ音型」について」の解説
この曲の作曲の際に必ず持ち上がる問題が、ブラームスのかつての恋人アガーテ・フォン・ジーボルト(Agathe von Siebold, 江戸時代に来日したシーボルトの親類)との関係である。ブラームスは、デトモルトの宮廷ピアニストを務めていた1858年にゲッティンゲンにて大学教授の娘だったアガーテと知り合い、恋愛関係に陥る。彼女はきわめて美しい声の持ち主で、ブラームスは彼女が歌うことを想定した歌曲を作曲している。しかし、1859年にアガーテから婚約破棄を伝えられ、この恋愛は終わることとなる。 前述のように、弦楽六重奏曲第2番のスケッチは遅くても1855年から始まっている。ブラームスは、この曲のうちにアガーテへの思いを断ち切る決意を秘めた伝えられている。その根拠として挙げられるのが、第1楽章の第2主題終結部に現れるヴァイオリンの音型である。この音型は、イ-ト-イ-ロ-ホという音であるが、ドイツ語音名で読み替えるとA-G-A-H-Eとなる。これは、アガーテの名(Agahte)を音型化したものだ、といわれている。また、ブラームス自身が「この曲で、最後の恋から解放された」と語った、とも伝えられたということも相まって、ブラームスの友人で彼の最初の伝記作家となったマックス・カルベック(Max Kalbeck, 1850-1921)以来、有名な逸話として伝えられている。 しかし冷静に考えるならば、この逸話にはいくつかの疑問点が浮かび上がる。その第1に、果たしてこの音型は本当にアガーテを音型化したものなのか、という点である。ブラームス自身はこの音型について何も語ってもいないし、ドキュメントも残していない。ということは、この音型がアガーテを音型化したものであるということに対して、反論する証拠がないと同時にそれを裏付ける証拠もないわけである。また、作曲時期についても、この逸話が第1番の作曲時期(1860年)ならば納得できようが、果たして失恋(1859年)と第2番の作曲時期(1864年~1865年)との間にこれほどの隔たりがあるものか、という点が疑問として残る。さらに言うならば、カルベックの記述に対して、ブラームスの作品をあまりにも詩的に解釈しすぎているのでは、という批判が存在するのも事実である。この逸話については、カルベックの記述がすべての源であるということをあわせるならば、その信憑性についてはもう少し慎重を期すべきである。
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