今井八九郎(いまいはちくろう 1790-1862)
伊能忠敬、間宮林蔵の実測以降の北方地図作成史での大きな出来事のひとつは、松前藩士で測量方であった今井八九郎が蝦夷地の全沿岸を実地測量して、その実測地図を作成したことである。
今井八九郎は、寛政2年(1790)、松前藩下級藩士の子として松前に生れた。文化4年(1807)から松前藩に使えていたが、文化10年兄の今井光信が病没した跡を継いで松前奉行配下となった。その間に間宮林蔵の蝦夷地測量に同行し、伊能流の測量技術のすべてを学んだという。その後、蝦夷地が(文政4年 1821)幕府による直轄管理から松前藩の管理へ変更されたことに伴って、今井八九郎を召命して蝦夷地全域の測量を計画した。
蝦夷地管理の変更によって、それまでに作製された地図類など蝦夷地関係の書類は、松前奉行所から江戸に持ち去られたのだろう? 今井は蝦夷地経営のためには正確な地図作成が急務であることを藩主に上申した。
文政8年(1825)以降江戸地在勤中に測量器具の購入など準備を進め、同11年に至って藩主から蝦夷地全域の測量実施が命じられた。それ以後、蝦夷本島、樺太南部と歯舞・色丹諸島、奥尻、焼尻などの離島も含めた北海道周辺の沿岸測量を実施し、文化10年から12年にかけて蝦夷地全域の地図を藩主に提出した。
その測量図は、極めて精度の高いものであり、東京国立博物館、早稲田大学図書館、北海道大学附属図書館などに所蔵されている。特に北海道大学附属図書館所蔵「利尻島図(天保5年測量)」など、伊能図などで網羅されていな島しょ部の(海岸線を主にした)地図は、現行の5万分の1地形図と比べても遜色のないものだという。
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