飯塚伊賀七(いいづかいがしち 1762-1836)
飯塚伊賀七は、常陸国筑波郡谷田部新町村(現つくば市)の農家の生まれ、名主をつとめた。
伊賀七は、発明心に富んだ人で、建築や機械類の研究に没頭し「からくり伊賀七」と呼ばれた。建築物では、正五角形の建物や隠れ部屋など特徴的な建造物を残した。
からくりや建築ということでは、隠れ部屋のほかにも、時報を打つ時計堂、時計と連動した門扉、エレキテル、自転車、懐中時計を作成したほか、飛行機の作成も計画したと伝えられる。地図・測量との関連では、「拾間輪」と呼ばれる一輪車の回転数で距離を測る測量器械を作成した。全長176cm、車の直径は29cm、1回転が1間(90cm)となり、20回転(10間)で鐘が鳴る仕組みである。さらに、谷田部藩からの依頼を受けて手がけたと思われる地図(「分間谷田部絵図」など)がいくらか残されている。
これらの業績に関わる機械・建築・和算・地理学・暦学などの知識を、伊賀七はどのようにして修得したのかは明らかとなっていないが、関流の数学者や谷田部藩医との交流によったのではないかと推測されている。

もらいもので、名前は知らない
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