『選挙法の統合について』執筆(1850年)
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「アースキン・メイ (初代ファーンバラ男爵)」の記事における「『選挙法の統合について』執筆(1850年)」の解説
メイの改革提言は議事規則(立法のプロセス)に留まらず、成文法の法典化・統合・索引作成(立法の成果物)にもおよんでいる。その第一歩として1850年に『選挙法の統合について』(On the Consolidation of the Election Laws、ロンドン、1850年、8vo小冊子)を出版した。『選挙法の統合について』では議員の選挙と就任に関する法律を扱っており、メイは選挙関連の法律が250件近くもあり、その多くがすでに失効していたが正式に廃止されておらず、また重複や矛盾する箇所も多かったと指摘した。このような成文法間の不整合を正すべきとの課題認識は、選挙法に限らず既に19世紀前半には広く争点となっていた。 このような成文法間の不整合の原因として、メイは初期法案が審議の過程でその解釈が歪められやすい立法プロセス上の問題点を指摘している。しかしながら、立法府の権限を制限するような急進的な方法でこの問題を解決するのも不適切と考えていた。つまり、選挙を経ていない人物が法案起草に関わるべきではないとの見解である。そこでメイは、既存の庶民院各委員会の下部に法案起草を目的とした小委員会を創設する階層構造を提唱した。この改革案は、1857年の成文法委員会特別委員会(Select Committee on the Statute Law Commission)にて進言されている。しかし、メイがこの改革により立法に遅延が生じると認めた結果、委員会が提言を受け入れることはなかった。 メイが次に成文法の改革に関わるのは、成文法改正委員会に自身が直接参画した後のことである。なお、『選挙法の統合について』出版から四半世紀が過ぎた1875年の議会立法特別委員会(Select Committee on Acts of Parliament)において、メイは成文法の状況がかなり改善したと証言している。
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