『紙本著色後醍醐天皇御像』
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「絹本著色後醍醐天皇御像」の記事における「『紙本著色後醍醐天皇御像』」の解説
本作品の模本に、『紙本著色後醍醐天皇御像』がある。戦国時代、永正14年(1517年)3月21日成立。作者は弥阿弥陀仏で、時宗第23代遊行上人の称愚の頃、三寮(時宗で6つある「本寮」のうちの第4位)の地位にあった僧侶。のち、第25代の仏天に六寮衆(「本寮」の最高位)の一人として仕えた同名の高僧(『時宗過去帳僧衆』)と同一人物と考えられる。 彩色の違いが一見すると目立つが、寸法はほぼ同じであり、輪郭線は細部まで忠実に模写されている。 画面上部の三社託宣については、原本とは「春日大明神」と「八幡大菩薩」が入れ替わっており、故意なのか、原本に修理作業などで当時錯簡があったのかは不明である。また、原本の「春日大明神」とは違い、「春日太明神」となっており、清浄光寺が蔵する三社託宣の「春日太神宮」と「太」と一致する。「神」の字形も、原本とは違って点がついている。これらの三社託宣の変更点の理由については、2014年時点では詳細不明である。 秘蔵する原本の代わりに、模本が礼拝の儀式で使用されたことについては、#成立後の来歴を参照。 模本は、清浄光寺遊行寺宝物館館長の遠山元浩自身の言によれば、遠山が館内管理史料の整理中に発見したものであるという。その後、平成21年(2009年)、宇治平等院の平等院ミュージアム鳳翔館の特別展観「後醍醐天皇遷化670回忌記念「しられざる刻の添景」」で初公開された。遠山は当初、彩色の印象から安土桃山時代か江戸時代の作例ではないかと推定していたが、2012年の修復作業により本紙背面から制作記録が発見され、前述の成立年代・作者が判明した。
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