『紙本著色後醍醐天皇御像』とは? わかりやすく解説

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『紙本著色後醍醐天皇御像』

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/10 15:29 UTC 版)

絹本著色後醍醐天皇御像」の記事における「『紙本著色後醍醐天皇御像』」の解説

本作品の模本に、『紙本著色後醍醐天皇御像』がある。戦国時代永正14年1517年3月21日成立作者は弥阿弥陀仏で、時宗23遊行上人の称愚の頃、三寮(時宗6つある「本寮」のうちの第4位)の地位にあった僧侶。のち、第25代の仏天に六寮衆(「本寮」の最高位)の一人として仕えた同名高僧(『時宗過去帳僧衆』)と同一人物考えられる彩色違い一見すると目立つが、寸法はほぼ同じであり、輪郭線は細部まで忠実に模写されている。 画面上部三社託宣については、原本とは「春日大明神」と「八幡大菩薩」が入れ替わっており、故意なのか、原本修理作業などで当時錯簡があったのかは不明である。また、原本の「春日大明神」とは違い、「春日明神となっており、清浄光寺蔵する三社託宣の「春日太神宮」と「太」と一致する「神」字形も、原本とは違って点がついている。これらの三社託宣変更点理由については、2014年時点では詳細不明である。 秘蔵する原本代わりに模本礼拝儀式使用されたことについては、#成立後の来歴参照模本は、清浄光寺遊行寺宝物館館長遠山元浩自身の言によれば遠山館内管理史料整理中に発見したのであるという。その後平成21年2009年)、宇治平等院平等院ミュージアム鳳翔館の特別展観「後醍醐天皇遷化670回忌記念しられざる刻の添景」」で初公開された。遠山当初彩色印象から安土桃山時代江戸時代作例ではないか推定していたが、2012年修復作業により本紙背面から制作記録発見され前述成立年代作者判明した

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