『哲学への寄与論稿』
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「マルティン・ハイデッガー」の記事における「『哲学への寄与論稿』」の解説
1936-1938年にハイデッガーは公表されざる膨大な覚書を残す。あらゆるものや自然が迅速に算定され、組織的な操業に変えられていくなかで人間の自己喪失は終わりのない過程となる。この根こそぎの喪失へむけて異様な語彙を駆使した思索を残した。死後にクロスターマン版全集第65巻『哲学への寄与論稿』として刊行された。『哲学への寄与論稿』では用語は特異なものになる。そこに書かれたのは神が必需とする存在(他に有・また原存在の訳語 Seyn)であり拒絶(Verweigerung)が、存在(Seyn)の呼びかけと現-存在の聴従的帰属(すなわち呼びかけへの応答)の「対抗躍動」として、底無しの深淵(Abgrund)として、人間という場において開けていく性起(他に自現の訳語 Ereignis)である。この動態は「開け透かす覆蔵」、「語り拒み[語り与え]」といった言い回しであらわされ、覆蔵として、また語り拒みとしての贈与とされる。それは単なる自己隠匿ではない、むしろ「自らを覆蔵するものがそのものとして自らを開き明けること」という意味で差し向けの親密さであり拒絶の差し向けとしての開け・最高の贈与である。また悟性や理性といった人間知による確認や算出の不可能である。存在(Seyn)の開けは没落を要求し、その者たちは守護された炎の中で焼き尽くされる。その犠牲は存在に立ち去られることからの退路であり、それは「反-動的な者たち」の「活動」とは全く別である。「反-動的な者たち」は「近視眼的に見られた従来のものに盲目的にしがみつく」だけである。そのように存在者は回復を経験する。人間はこの存在(Seyn)の開けを見守ることしかできない。これらはハイデッガーの従来からの命題「既在的に将来すること」の深化でありすなわち歴史的でありまた予言的ともみえ、高度資本主義社会における実存の不可解を暗示しているかにもみえる。いま重要なのはこの覚書が現実との接点のない詩・絵空事・夢であると決めつけず、また一部研究者のいうような単なる「アイデアの貯蔵庫」とかたずけ良しとせず、また黙示録性にたいし臆せず、現在の時代性において読み説くことであろう。
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