『プリンキピア』以後の音速研究
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/30 06:21 UTC 版)
「音速」の記事における「『プリンキピア』以後の音速研究」の解説
ニュートンは『プリンキピア』第2版で音速の理論値を補正することによって、理論値と実験値を一致させた。しかしこの補正をするにあたってニュートンが取りだした仮説は実際のところ根拠に乏しく、人々に受け入れられるものではなかった。 そのため、理論値と実験値とのずれは解消されたとはいえなかった。パリの科学アカデミーでは、セザール=フランソワ・カッシーニ(英語版)らの手により、1738年にふたたび音速が測定された。測定方法は大砲の音を利用したもので、今までにないほど周到に測定されている。この測定では測定地点の温度も記録されており、それによると摂氏0度での音速は毎秒332メートルである。この値は現在の測定値とほぼ一致した値である。 1738年の実験時には、音速が温度によって異なるという事実は知られていなかった。これが明らかになるのは1740年以降である。ビアンコーニ伯はボローニャで夏と冬に音速を測定し、空気中の音速は気温と共に上昇するという結論を出した。またコンダミンは、涼しいキトーと暖かいケイエンヌで音速を測定し、ビアンコーニと同じ結論を導き出した。 ヨハン・ハインリッヒ・ランベルトは音速理論を考え直すことで測定値との差を埋めようとした。そしてベルリン会報1768年号に載せられた研究で、空気には水蒸気と「不均質な物質」が混じっていて、それらは音の伝播には無関係だから、音速を計算する時には取り除かなければならないと記した。しかし、空気中の水蒸気量を調べることは難しかった。そこでランベルトは逆の方法をとった。つまり、実際に測った音速の値と理論値とのずれの量から、空気中の水蒸気の量を求めようとしたのである。こうしてランベルトは、蒸気は大気の重さの3分の1以上を占めると結論付けたのであるが、この値は後になされた実験値と一致しない。
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