「30人の同志」とは? わかりやすく解説

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「30人の同志」

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/24 20:33 UTC 版)

南機関」の記事における「「30人の同志」」の解説

鈴木大佐は南機関本部バンコクに置き活動開始した南機関任務は、世界最強イギリス情報機関相手として、日本の関与いささかも漏らすことなく謀略成功させるという極めて困難なものであった南機関次のような行計画立てたビルマ独立運動家の青年30名を密かに国外へ脱出させ、海南島または台湾において軍事訓練を施す。 訓練終了後、彼らに武器資金与えてビルマへ再潜入させ、武装蜂起準備をさせる。武装蜂起時期1941年6月頃とする。 1941年2月14日杉井オンサン両名対しビルマ青年の手引きを命ず作戦命令第一号が発出された。両名船員変装してビルマ輸送日本貨物船でラングーン向かい第一陣のビルマ青年4名の脱出成功させた。以後6月までの間に、海路及び陸路通じて脱出したビルマ青年予定30名に達した。この30名が、後にビルマ独立伝説語られることになる「30人の同志」である。 4月初旬海南島三亜海軍基地一角特別訓練所が開設されビルマ青年順次送り込まれ過酷な軍事訓練開始された。ビルマ青年たちのリーダーオンサン務めた訓練用武器には中国戦線捕獲した外国製武器準備するなどして、日本の関与発覚しないよう細心の注意払われた。グループ比較遅れて加わった中にタキン・シュモンすなわちネ・ウィンがいた。ネ・ウィン理解力優れひ弱そうに見え体格の内に凄まじい闘志秘めていた。ネ・ウィンはたちまち頭角現しオンサン右腕を担うことになる。

※この「「30人の同志」」の解説は、「南機関」の解説の一部です。
「「30人の同志」」を含む「南機関」の記事については、「南機関」の概要を参照ください。

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