「魏志倭人伝」の卑弥呼とは? わかりやすく解説

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「魏志倭人伝」の卑弥呼

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 04:52 UTC 版)

卑弥呼」の記事における「「魏志倭人伝」の卑弥呼」の解説

魏志倭人伝」によると卑弥呼邪馬台国居住し女王之所都)、鬼道で衆を惑わしていたという(事鬼道、能惑衆)。 また、卑弥呼邪馬台国の王というのは間違いという説がある。この鬼道や惑の意味には諸説あり正確な内容不明だが、魏志倭人伝で「輒灼骨而卜、以占吉凶」(骨を焼き割れ目見て吉凶を占う)とあるように卜術をよく行う巫女シャーマンであった可能性が高い。ただし中華史書には、黎明期中華道教や、儒教的価値観そぐわない政治体制鬼道記している例もある。 本人人前に姿を現さず、弟だけにしか姿を見せなかった。 福岡県糸島市平原遺跡から八咫の鏡と同じ直径大型内行花文鏡5始め大量の玉類や装身具出土していることから原田大六被葬者太陽神崇める巫女であったとしたが、魏志倭人伝における伊都国重要な役割から、卑弥呼伊都国に繋がる系統巫女であった可能性がある。 既に年長大であり、夫はいない(年已長大、無夫壻)、弟がいて彼女を助けていたとの伝承がある(有男弟佐治國)。王となってから後は、彼女を見た者は少なく(自爲王以來、少有見者)、ただ一人男子だけが飲食給仕するとともに、彼女のもとに出入りをしていた(唯有男子一人、給飲食、傳辭出入)。宮室楼観城柵厳しく設けていた(居處宮室樓觀城柵嚴設)。 卑弥呼死亡したときには倭人直径余歩(この時代中国百歩日本二百歩に相当し、約90m)もある大きな塚を作り奴婢余人殉葬したとされている(卑彌呼以死、大作冢、徑百餘歩殉葬奴婢餘人)。塚の大きさ直径記されているところから、前方後円墳ではなく円墳ないし丘地形利用した形状だったと考えられる

※この「「魏志倭人伝」の卑弥呼」の解説は、「卑弥呼」の解説の一部です。
「「魏志倭人伝」の卑弥呼」を含む「卑弥呼」の記事については、「卑弥呼」の概要を参照ください。

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