「里山」という語
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/22 05:47 UTC 版)
初めて文献に「里山」という単語が現れるのは、1759年6月に尾張藩が作成した文書「木曽御材木方」である。「村里家居近き山をさして里山と申候」と記述されている。また、奈良県の吉野山地では、山を村落から近く標高が低い順に「サトヤマ」「ウチヤマ」「オクヤマ」「ダケ」と区分しており、「サトヤマ」に該当するのは集落の周囲の斜面にある畑や雑木林である。 現代に見られる里山の再評価に直接繋がる言論活動を開始した人物としては、京都大学農学部・京都府立大学などの教官を務めた四手井綱英がいる。四手井は今日的な意味での「里山」という言葉の使い方を考案したと言われる。 また、里山という語の普及に大きな影響を与えた人物としては、四手井の他に写真家の今森光彦を挙げる意見もある。飯沢耕太郎は、1995年に今森が発表した写真集『里山物語』によって、里山という語に具体的なイメージが与えられたとしている。 他に、市民の立場から1983年から「里山一斉動物調査」などの活動を行い、里山の語を普及するとともに実地体感や動物のフィールドサイン観察などを伝えた、大阪自然環境保全協会と指導した木下陸男がいる。
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