「里の秋」と『星月夜』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/27 05:07 UTC 版)
『星月夜』(ほしづきよ)は、斎藤信夫がまだ国民学校の教師をしていた1941年(昭和16年)12月に作られた、1番から4番までの歌詞で、後に童謡の雑誌に掲載された。 太平洋戦争の始まりを報せる臨時ニュースに高揚感を覚え、その思いを書き上げたと言われている。 1,2番は「里の秋」と同じ歌詞だが、続く後半の3,4番は「父さんの活躍を祈ってます。将来ボクも国を護ります」という様な内容で締めくくられている。 早速、童謡にしてもらうため海沼に送ったものの、曲が付けられる事はなかった。 やがて終戦を迎え、海沼は放送局から番組に使う曲を依頼され、要望に合った歌詞を探して見つけたのが「星月夜」だった。 そのままの歌詞では使えないと判断した海沼は、斎藤に東京まで出てくるように電報を打つ。 戦争で戦う様に教えていた事に責任を感じた斎藤は、終戦後、教師を辞めていた。 電報を受けた斎藤はすぐに海沼に会いに行き、「星月夜」の歌詞を書き変える作業を始めたがなかなか進まず、曲名が「里の秋」に変えられたのも放送当日だった。
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