「羽根田・カンポス彗星」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:24 UTC 版)
「羽根田利夫」の記事における「「羽根田・カンポス彗星」」の解説
翌日起きだした羽根田は、彗星のことなどはすっかり忘れていた。その日は朝から来客があり、カメラのことなどで話が弾んでいた。 午前10時頃、電話がかかってきた。その電話は、東京天文台の香西洋樹からのものであった。電話の内容は、昨日の電話の後にアメリカの天文電報中央局へ羽根田の独立発見を打電したところ、折り返し羽根田の早い発見があるので、今後カンポス彗星を「羽根田・カンポス彗星」 と呼び改める、という「異例の通知」であった。 彗星のことをすっかりあきらめていた羽根田は、電話の内容をすぐには信じ切れなかった。来客から電話の内容を尋ねられた羽根田が一部始終を話したところ、「それは大したものだ」と一緒に喜んでくれた。正午前には、東京天文台からの祝電も届いた。 日本での新彗星の発見は3年ぶりのことであった。軌道計算の結果、周期約6年の木星族の短周期彗星と判明した。9-10等の光度で周期彗星が眼視的観測で発見されたのは本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星(1948年12月3日発見)以来約30年ぶりのことであった。 新彗星発見のニュースは、1978年9月6日の新聞朝刊で大きく報じられた。この日は羽根田にとって69歳の誕生日でもあり、思いがけない誕生日のプレゼントとなった。羽根田はコロの誘いがなければこの発見はなかったろうと思い、「人間の力ではどうにもならない運命」を感じたという。40年にわたる羽根田の観測人生は、こうして実り多いものとなった。
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