「病床日記」とされた文章について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/29 00:08 UTC 版)
「山口良忠」の記事における「「病床日記」とされた文章について」の解説
山口の死を伝えた朝日新聞の第一報(西部本社版)は、社会面トップに「食糧統制に死の抗議 われ判事の職にあり ヤミ買い出來ず 日記に殘す悲壯な決意」との四段ぬきの大見出しで報道され、死の床につづられた日記の一節であるとして以下の文章が掲載された。 食糧統制法は惡法だ、しかし法律としてある以上、國民は絶対にこれに服從せなければならない、自分はどれほど苦くともヤミの買出なんかは絶対にやらない、從つてこれを犯す奴は断固として処断する自分は平常ソクラテスが惡法だとは知りつゝもその法律のために潔く刑に服した精神に敬服している、今日法治國の國民には特にこの精神が必要だ、自分はソクラテスならねど食糧統制法の下喜んで餓死するつもりだ、敢然ヤミと闘つて餓死するのだ被告の大部分は前科者ばかりだ自分等の心に一まつの曇がありどうして思い切つた正しい裁判が出来やうか、弁護士連から今日の判検事諸公にしてもほとんどが皆ヤミの生活をされているではないかとしばしばつき込まれたではないか、自分はそれを聞かされた時には心の中で実際泣いたのだ、公平なるべき司直の血潮にも濁りが入つたなと。願わくは天下にヤミを撲滅するためによろこんでギセイとなることを辞せない同志の判官諸公があつて速かに九千万國民を餓死線上から救い出したいものだ家内も当初は察してくれなかつた、それもそのはずだ、六つと三つのがん是もない子をもつ母親として「腹がへつた、何かくれないか」と要求される度に全く断腸の思いをし、夫が判官の精神を打忘れること、世のたとえに言ふ「親の心は盲目だ」でついアメ一本でもと思つたのも実に無理もなかつたであらう 翌5日の東京版では文面が異なっている。 食糧統制法は悪法だ、しかし法律としてある以上、國民は絶対にこれに服從せねばならない自分はどれほど苦しくともヤミ買出しなんかは絶対にやらない、從つてこれをおかすものは断固として処断せねばならない、自分は平常ソクラテスが悪法だとは知りつゝもその法律のためにいさぎよく刑に服した精神に敬服している、今日法治國の國民にはとくにこの精神が必要だ、自分はソクラテスならねど食糧統制法の下、喜んで餓死するつもりだ敢然ヤミと闘つて餓死するのだ自分の日々の生活は全く死の行進であつた、判検事の中にもひそかにヤミ買して何知らぬ顔で役所に出ているのに、自分だけは今かくして清い死の行進を続けていることを思うと全く病苦を忘れていゝ気持だ この病床日記は、スクープした分部照成によれば、山口の父から受け取ったものであるという。しかし、山口の妻子はこの日記の存在を承知しておらず、他の判検事を悪し様に批判し、自己の価値観を押し付けるかのごとき過激な文面が生前の言動と矛盾するとして、真贋に疑問を呈している。これに対して、分部は、我が身を鼓舞するためにあえてそのように書いたのではないかとしている。 なお、妻矩子の回想によれば、山口は生前以下のように語ったという。 人間として生きている以上、私は自分の望むように生きたい。私はよい仕事をしたい。判事として正しい裁判をしたいのだ。経済犯を裁くのに闇はできない。闇にかかわっている曇りが少しでも自分にあったならば、自信がもてないだろう。これから私の食事は必ず配給米だけで賄ってくれ。倒れるかもしれない。死ぬかもしれない。しかし、良心をごまかしていくよりはよい。
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