「決定論」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 19:33 UTC 版)
マルクスの思想体系は「経済決定論」だという批判がしばしばある。その含意は、社会や政治や心理の発展過程はすべて経済に規定されているとマルクスは考えていた、というものである。また、カール・ポパーやアイザイア・バーリンはマルクスがヘーゲル主義的な「歴史決定論」に陥っていると批判している。 マルクスがヘーゲルの言う「理性の狡知」の論理をしばしば用いたのは事実だが、マルクス自身は人間の主体性や歴史の偶然性を度々認めている。たとえばイーグルトンはマルクスが初期の著作で人間の類的存在と歴史に対する能動的な役割を認めていたことを指摘する。またマルクスは『フォイエルバッハ・テーゼ』で「環境の変革と教育に関する唯物論の学説は、環境が人間によって変革され、教育者自身が教育されなければならないことを忘れている」と書いているし、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』では、マルクス自身がプルードンが歴史的決定論に陥っていると批判している。 E.H.カーは、カール・ポパーやアイザイア・バーリンがマルクス主義を歴史決定論であると批判したことに触れて、マルクスの立場は決定論ではなく、因果関係の重視であると反論している。カーはマルクスの「もし世界史にチャンスの余地がなかったとしたら、世界史は非常に神秘的な性格のものになるであろう。もちろん、このチャンスそのものは発展の一般的傾向の一部になり、他の形態のチャンスによって埋め合わされる。しかし、発展の遅速は、初め運動の先頭に立つ人々の性格の『偶然的』性格を含む、こうした『偶然事』に依存する」という発言を引用して、マルクスが単純な歴史決定論ではないより精緻な態度をとっていることを指摘している。
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