「新党日本」結成
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/12 03:16 UTC 版)
「新党日本」も参照 かつてナチズムに抵抗するために共産主義者と手を結んだド・ゴールの話を引用し、小異を捨てて大同に付くべきだ(協力して自民党親米保守の新自由主義に抵抗すべき)として、2005年8月21日にパレスホテルで、長野県知事在職中ながら郵政民営化問題で離党した自民党保守本流派と新党日本立党に参加し、代表に就任する。 党代表に就任するも、知事職は辞さず、副知事不在のまま選挙運動を行い、県内に動揺を招いた。なお、この騒動の最中に、朝日新聞長野支局記者が、亀井静香と田中康夫の会談が長野県であったかのような虚偽のメモをでっち上げ、それに基づいた虚報記事が紙面に掲載されるという事件「朝日新聞の新党日本に関する捏造事件」も起きた。 2006年9月の首班指名選挙では、新党日本に所属する荒井広幸参議院議員が、新党日本と統一会派を組んでいる国民新党の綿貫民輔に投票せず、自民党総裁の安倍晋三に投票。新党日本は、代表の田中康夫が国会議員ではないために自主投票としていたが、国民新党がこれを問題視し荒井への厳正処分を要求。党代表の田中が処分をしない方針を打ち出したため、国民新党は、衆参両院において新党日本との統一会派を解消した。
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