改革クラブの結成
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民主党参議院議員の渡辺は、自由党に所属し、小沢一郎の側近として民由合併を積極的に進めたが、2004年(平成16年)の第20回参院選に出馬した際、小沢の支援を得ることができず、渡辺を師と仰ぐ大江康弘とともに小沢と距離を置くようになった。 郵政民営化をめぐり自民党を離党し新党日本結成に参画した荒井は、党代表である田中康夫の党運営に反発して離党、自民党と統一会派を結成したが与党が参院において少数派であったことから影響力を発揮することができなかった。 そのような状況で民主党離党を決意した渡辺・大江は、荒井と同じく参院で孤立していた無所属の松下新平と新党結成を画策した。当初はこの4人に加えて民主党の姫井由美子も参加する予定であったが、前日の8月28日に新党立ち上げが明るみに出ると、姫井は民主党執行部の説得を受けて翻意、記者会見直前で参加を取りやめた。また渡辺が強い影響力を持っていた新潟県でも菊田真紀子ら民主党国会議員の追随はなく、逆に渡辺の影響力低下を示す結果となった。 そのため、発足当初は政党交付金の受給資格である「国会議員数が5人以上」をクリアできず、政党助成法上の政党に該当しない政治団体として扱われていたが、9月24日に衆議院議員で無所属の西村眞悟が加わったことにより政党助成法上の政党要件を満たし、同日付で政党としての届けを総務省に提出し受理された。 結党2日後の9月1日に福田康夫内閣総理大臣が辞意を表明し、次期自民党総裁の選出と衆議院解散総選挙の日程が政治の焦点となった。さらに9月半ばから世界的な金融危機が勃発したため、改革クラブへの社会的関心は急速に薄れることとなった。
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